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夜間飛行メルマガ
茂木健一郎
樹下の微睡み

読者のみなさまへ。メルマガ『樹下の微睡み』は、2013年3月末をもって休刊とさせていただきます。通常号は3月18日配信分を最終号とし、毎日配信の英語塾は3月22日に配信される連続100号をもって終了といたします。3月23日から31日までに、何回か「特別号」を発行させていただきます。本日より新規購読は締め切らせていただきますが、今後もバックナンバーとしては購入できますので、ご利用いただけますと幸いです。長い間、ご愛読本当にありがとうございました。メルマガとは違った形での茂木健一郎さんのご登場をお待ちください。ありがとうございました。

【プレタポルテおすすめ記事】
『赤毛のアン』原書から、アイスクリームの話
「文章を売る」ということ


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【 最新発行日 】 2013年 03月 31日
夜┃間┃飛┃行┃
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“The Book Project 夜間飛行”では、次世代の「本」の形を提案します


┏┓茂木健一郎メールマガジン 樹下の微睡み(まどろみ)
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2011年4月4日 Vol.001

茂木健一郎です。こんにちは。ご購読を決めてくださった皆さん、ありが
とうございます。

真実を見つめるメールマガジンにしたいと思います。

私たちが真実に向き合うためには、二つの障害に立ち向かわなくてはいけ
ません。一つは、自らの知識や技術が足りないという障害。もう一つは、
心理的な障害です。つまり、私たちは真実を見るための能力が足りないと
いうだけでなく、そもそも真実を「見ようとしない」場合があるのです。

今までの日本人が、まさにそうでした。あきらかに「これはおかしいな」
と思うことがあっても、その本質を見ようとしない。「この場だけをやり
過ごせばいいや」となあなあで済ませてしまう。そういうところがありま
した。でも今回、悲惨な原発事故が起きたおかげで、そうした「騙し騙し
の姿勢」はもう通用しなくなりました。

原子炉の処理はどうするのか。これからのエネルギー問題はどうするのか。
そうした難問を目の前に突き付けられた「待ったなし」の今こそ、生きる
ことの真実をみなさんと見つめていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。


【「夜間飛行」編集室より】
メルマガ「樹下の微睡み」では、茂木さんへの質問を受け付けます。
mogi@yakan-hiko.com(400文字以内/お一人様一問)までお送りください。
「質問コーナー」などメルマガ内のコンテンツで適宜、取り上げます。
編集部の判断で、どの質問を取り上げるか取捨選択させていただくことを、
ご了承ください。また、「この記事が面白かった」といった感想や「こんな
企画を読んでみたい」というご要望なども同じアドレスで受け付けます。
よろしくお願いします。

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※有料メルマガの購読、課金に関するお問い合わせは、
support@yakan-hiko.comまで。届かない場合などは迷惑メール等に分類さ
れている場合もありますので予めお確かめください。
※バックナンバーは下記からウェブ経由で購入することができます。有料
です。
https://yakan-hiko.com/mogi.html
※発行日は第1、第3週の月曜日です。第2、4、5週目についてはお休
みとさせていただきます。
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┏┏┏┏ 今週の目次
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01 時評――真実の囁きを聴こう
02 メルマガ私塾(掲示板)
03 Q&A
04 続・生きて死ぬ私(連載)
05 講演録 日本人にiPhoneが作れない理由(その1)
06 メディア出演情報

【今週のつぶやき】
今回の事態で明らかになったこと。日本の風土病とも言える、「文系」「
理系」の区別はナンセンス。「文系」の人も、原子核反応の基本や、リス
クの定量的評価を理解しなければ社会に対して貢献できない時代。


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01 │時評――真実の囁きを聴こう
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■日本人の病気が治った

今回の震災は、まさに未曾有の大災害でした。たくさんの方が亡くなり、
直接的にあるいは間接的に被災された方にも大きな傷を残しました。幸運
にも被災を免れたわれわれは、彼らが日常生活へ戻れるように全力を尽く
して助けていかなくてはいけません。

ただこの数週間、震災のこうした悲惨な面を心から嘆かわしく思うととも
に、僕がひしひしと感じていることがあります。それは、この震災を機に
、日本人の「病気」が治ったということなのです。

3月11日以前、われわれ日本人は、小沢一郎さんの政治資金問題、京大の
カンニング事件、市川海老蔵さんの殴打事件、そして前原誠司さんに対す
る外国人の献金問題と、生きることの本質からすると本当に「どうでもい
い」問題に狂奔していました。

テレビや新聞といったマスメディアは、重箱の隅をつつくようなことばか
りを報道していました。また、民間の企業などでは過剰に内部規制や法令
を守ろうとする、いわゆるオーバーコンプライアンスの状態になっていて、
自由な企業活動に支障をきたしてしまう状態になっていました。あきらか
に日本人はバランス感覚を失っていた。

ようするに、細かく決められたルールを「すべて守らなくちゃいけない」
という息苦しい雰囲気が日本を覆っていました。そして、その息苦しい空
気の中で、日本人が病的になっていた。それが震災前の状況だったと思い
ます。

以前、対談の場で養老孟司さんがこんなことをおっしゃっていました。
「悩みというのは、ものすごく深刻な問題が起きると飛んでしまうものだ。
たとえば、自分が不治の病に罹っていると分かった瞬間に、それまでくよ
くよ悩んでいたことなどすべて飛んでしまうんだよ」。僕は同じようなこ
とが日本人に起こったと思うんです。あの3月11日に。

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団結の時

世界が、ある「出来事」をきっかけとして、まったく違う場所になってしまうことがあります。
それまでの経緯や、さまざまな脈絡や、しがらみがすべて断ち切られて、
新しい局面に投げ込まれる。
そして、振り返ると、
その「出来事」の前に自分たちは
いったい何をして、考え、感じていたのか、
思い出すのが困難なほど、
別の視点から世界を眺めている自分に気付かされるのです。

みなさんは、2011年3月11日、14時46分にどこで何をしていましたか? 
ぼくは、東京で地下鉄に乗っていました。
ゼミの準備で、「ウィキリークス」に関する論文を読んでいたのです。
駅を出てしばらくした時、
それまで加速していた列車が突然、減速を始めました。
やがて完全に停止した車内に、
どこからか、「ピピピピピ」というブザー音が聞こえてきました。
「停止信号かな?」と思っているうちに、
車両が揺れていることに気付きました。
しばらく揺れが続いた後、もっと大きな揺れが来ました。
「初期微動が長い。これは、遠くの地震だ。」
真っ先に思い浮かんだのは、そのことでした。

振り返ると、
地下鉄の駅はトンネルの向こうにまだ見えていて、
明かりがまぶしく感じられました。
車内は空いていて、女性が三人乗り合わせていました。
「だいじょうぶでしょうか?」
一人が心配そうに声をかけてきました。
「こういう時は、かえって地下の方が安全ですよ。」
私は、できるだけ安心させるように言いました。
もっとも、100%の確信があったわけではないのですが。

揺れがようやく収まった頃、
携帯電話でウェブサイトにつなぎました。
「震源は、東北ですね。これは、かなり大きいかもしれない。」
ぼくは、三人の女性にそう伝えました。
情報を持っている人間が、他の人に何かを伝える。
振り返れば、助け合いの精神は、
震災のすぐ後に始まったように感じます。

やがて、電車は徐行運転を始め、隣りの駅に着きました。
私たちは、階段を通って地上に出ました。
そこは、JRとの乗り換え駅。
すでに、たくさんの人々が路上にあふれて、余震が続く中で呆然としていました。
携帯から入ってくる情報で、
次第に、状況の深刻さが判ってきました。

それから始まった困難な日々を、
私たちは決して忘れることがないでしょう。
襲った津波がもたらした悲劇のあまりの広がりと大きさに、言葉を失いました。
原発における事態の推移を、固唾を呑んで見守りました。
発表される停電の計画に、自分たちの生活の足元を見直しました。
そして、
断ち切られてしまった日常の中で、
震災の前とは異なるやり方で、
世界に向き合おうとしているように思います。

もし、震災が起こる前の世界に戻るとしたら。
私たちは、何度そんなことを考えたことでしょう。
しかし、時計の針を逆に戻すことはできません。
私たちは、
私たちが投げ込まれたこの新しい世界で、
何とか生きていかなければならないのです。

震災前の日本は、
後から見れば何と些細なことでみんながイライラして、
仲違いしていたことでしょう。
大学の入試で、学生がカンニングをした。
焼肉店を営む在日韓国人の方が、(法律の規定を知らずに)政治資金を提供した。
私たちが生きる上の本質にはかかわらない、
本当に小さなことに、
メディアが狂奔し、
大人たちがムキなっていました。

そのような些細なことは、
震災とともにすべて消えていった。
私たちが
夢見ること、
助け合うこと、
支えること、
探すこと、
求めること、
向き合うこと、
愛すること、
高めること。
生きる上で本質的なことに向き合うこと以外のすべては、
私たちの意識の外に消えていきました。

残されたものは、一体何なのでしょう。
きっと、それは、私たちにとって大切なもの。
一人ひとりが、自らに問いかける日々が続いています。

人間は、社会的な動物です。
私たちの脳は、社会的な脳。
「社会性の脳科学」や、「神経経済学」など、
お互いの関係性を記述する新しい学問分野も誕生しています。
ツイッターやフェイスブックなどのインターネット上のソーシャル・メディアは、
私たちの生活を変えつつあります。
今回の震災でも、
ウェブを通して人と人とがつながったことが、
大きな助けになったことは、
誰もが知っている事実です。

私たちは、「出来事」の前には決して戻れない。
新しい世界の中で、共通の大きな課題に、お互いに知恵を出して向き合う、
私たちは、その手法を探るべき時を迎えているのではないでしょうか。

学ぶ。切磋琢磨する。助け合う。高め合う。補い合う。
マイナスとマイナスが、かけ算でプラスにもなる。

どんな状況でも人間であること。
信じること。

復興は、私たちの心の中で、すでに始まっています。

2011年3月22日 東京にて 茂木健一郎
[著者プロフィール] 脳科学者。1962年東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文藝評論、美術評論などにも取り組む。2006年1月~2010年3月、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスター。『脳と仮想』(小林秀雄賞)、『今、ここからすべての場所へ』(桑原武夫学芸賞)、『脳とクオリア』、『生きて死ぬ私』など著書多数。