あなたが本当にやりたかったことは何ですか?
GW中にゆっくりとした時間を過ごして、自分の「本当の夢」といいますか、「本当にやりたかったこと」は何だったのか、思い出してみませんか。
僕は20代後半に、バリ島に行って5日位プールサイドに寝転がってご飯食べてまた寝転がって…ということをしたことがあるんです。すると3日目くらいに、もともと自分が人生でやりたかった夢がわぁーっと蘇ってきた。
人間は日々の生活に追われているとだんだん現実的になってきてしまいます。でもバケーションを通じて「そうだ、俺はもともとこういうことがやりたかったんだ」「こんなはずじゃなかったんだ」と思い出す。そして新たに夢に向かって挑戦する気分を盛り立てる。
これが休暇の効用だと思うんです。ぜひこのGWを使って、自分の夢が何だったかを思い起こして、語っていただけたらと思います。
本当にやりたかったこと…
子どもの頃は、これになりたい!という職業を思ったことが何回かありました。
その都度、自分ではどうすることもできない事情や、些細なことから断念し、いつしかそういう具体的な願いを持たなくなりました。
そんなことを思い出しながら、ぽかりと思い出したことがありました。
心理学の理論のひとつ、交流分析に“時間の構造化”という感え方があります。
大人になると、自分の人生を有意義に過ごしたいという“時間の構造化”という欲求が出てくるとのこと。
人間は退屈ということに耐えられず(のんびりしている私自身を振り返るとそうかなぁ?と疑問に思うのですが、茂木さんのような方を思い浮かべると、頷ける言葉です)、自分の一生を、次の6つの方法で構造化するというものです。
・引きこもり
・儀礼(あいさつ)
・暇つぶし(雑談)
・活動
・心理的ゲーム(かけひきのようなもの)
・親密な交わり
時間をこのように分ける考え方は私にはとても新鮮で、すぐに、身近な人たちの時間について考えてみました。
皆さんも考えてみると面白いかもしれませんね。
その中に、殆どの時間が“儀礼”ではないかな、と思える人たちがいました。(もちろんこれは、私がそう思っただけで、本当は違うかもしれません)
その瞬間、そんな人生は嫌だな、と思いました。
その頃の私は、自分は、人と心を通わせる、その瞬間のために生きているのではないか、と、思うようになっていました。
「以前は、元気でいろいろと旅行をしたのにねぇ」
という、ため息交じりの言葉を聞けば、
(あー、そうなんだ)
と、その方と同じような深い寂しさに沈み込んでいく、
「とても楽しかったんだ!」
と弾む心が抑えきれない言葉を聞けば
同じように
(楽しかったんだね)
とこちらの心も弾む
そんな瞬間のために、他のすべての時間があるように感じていました。
だから、自分の時間を思い通りにできるなら、できるだけ多くの時間が、“親密な交わり”であって欲しい、と心から思いました。
その後の時間を振り返ってみれば、その時の心からの思いをかなえることに熱心でなかったからか、現実的な思いではなかったからか、難しい願いだったのだな、と感じます。
それでもやはり、以前よりも、もっと少なく限られた時間を、できるだけ“親密な交わり”に使いたい、と今改めて思います。
こんな風に考えていたら、この春から始まった歩みは、“親密な交わり”の時間をできるだけ多く持ちたい、という嘗ての思いに支えられていることに気づきました。
そしてまた、子どもの頃になりたかった職業への思いは、今の歩みと決して無縁ではなかったことに気がつきました。