「正義」とは何か?
去年から今年にかけて流れを振り返ると、今は、「正義」とは何か?という問いに対して、予定調和な答えがない時代だと僕は思うんです。劉暁波さんが受賞したノーベル平和賞に対して、中国政府はノーベル賞の権威を否定するような発言を繰り返し、最近では北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」の設計に関わった著名な芸術家の艾未未さんまで勾留してしまいました。
一方で、オバマ大統領が9.11の首謀者として名指ししていたビン・ラディンを国際法上疑問の残る方法で殺害した。またウィキリークスが政府の公電を公開して、「民主的」と言われていた国家にもいろいろとほの暗い機密があるということが分かってきた。日本でも、検察・裁判制度に対する不信が、今回収監されることになった堀江貴史さんのことも含め、人々のあいだで持たれてきています。
僕は今の時代は、ホッブスが『リヴァイアサン』の中で書いた「人々が人々に対して闘争し続ける」というリヴァイアサンの時代になっていると考えています。つまり社会契約が通用しないと言いますか、むき出しの実力がぶつかり合う時代になっている。このような時代にはたして「正義」はあるのか。
もしあったとしたらそれはどういう働きをするのか。また正義を押し付けることはいいのか。
こうした一連の出来事を含めて、正義について議論したい。
マイケル・サンデルはまさに「正義」について考えるすばらしい授業を行いました。そこで「答えがあるわけではなくて、正義に関して考えるプロセスが大事なんだ」と言いましたが、われわれもその正義に至るプロセスを味わえる議論ができればと思います。
NO.25 fruits です。
NO.26 masamiさん、コメントをいただいたことを大変嬉しく思います。masamiさんにコメントをいただいたおかげで、漠然とした考えが深まった気がします。
正義とは、と考えてうーんとうなって立ち止まるのではなく、判断を出して先に進みたいのです。問題提起で終わるのではなく、少しでいいから解決したい。矛盾は認める、ずるいかもしれない、でもバランスは考えたから決めさせてほしい。
先週末、青春を過ごした思い出の地、仙台に行ってまいりました。
知人に案内してもらって行った沿岸部は「これでも片付いたんだよ」との言葉はその通りなのでしょうが映像では伝わらない静けさをともなった無残な姿に胸がつぶれる思いでした。
中でも同じ場所なのに高台に立つ家はそのまま、低地に立つ家はコンクリの土台以外跡形もない、そのコントラストに目が釘付けになりました。もちろん高台の土地は高価、低地の土地は安価だったことでしょう、でもそれを自己責任と言って済ませられるレベルを超えていると思いました。正義がバランスなら、あまりにアンバランス。
突然「国民皆地震保険」という言葉が思い浮かびました。
日本は「国民皆医療保険」の国です。誰もが病気になる可能性があるからです。
日本に住む以上、誰もが自然災害を被る可能性があるのですから、地震保険は強制加入で良いではないですか。日本で建物を所有する全員に地震保険に加入させて、加入費で津波や地震の被害にあった建物に保険金を支払う、こんなことができないでしょうか?
皆さまと次元が異なっているかもしれませんが、自分にとって、正義を考えるとはこういうことを考えること、のようです。