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「正義」とは何か?

「正義の味方」につなげて、次回のお題は「『正義』とは何か?」にしたいと思います。
去年から今年にかけて流れを振り返ると、今は、「正義」とは何か?という問いに対して、予定調和な答えがない時代だと僕は思うんです。劉暁波さんが受賞したノーベル平和賞に対して、中国政府はノーベル賞の権威を否定するような発言を繰り返し、最近では北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」の設計に関わった著名な芸術家の艾未未さんまで勾留してしまいました。
一方で、オバマ大統領が9.11の首謀者として名指ししていたビン・ラディンを国際法上疑問の残る方法で殺害した。またウィキリークスが政府の公電を公開して、「民主的」と言われていた国家にもいろいろとほの暗い機密があるということが分かってきた。日本でも、検察・裁判制度に対する不信が、今回収監されることになった堀江貴史さんのことも含め、人々のあいだで持たれてきています。

僕は今の時代は、ホッブスが『リヴァイアサン』の中で書いた「人々が人々に対して闘争し続ける」というリヴァイアサンの時代になっていると考えています。つまり社会契約が通用しないと言いますか、むき出しの実力がぶつかり合う時代になっている。このような時代にはたして「正義」はあるのか。
もしあったとしたらそれはどういう働きをするのか。また正義を押し付けることはいいのか。 

こうした一連の出来事を含めて、正義について議論したい。

マイケル・サンデルはまさに「正義」について考えるすばらしい授業を行いました。そこで「答えがあるわけではなくて、正義に関して考えるプロセスが大事なんだ」と言いましたが、われわれもその正義に至るプロセスを味わえる議論ができればと思います。

NO.41   waterlily 2011/06/04 03:03:11 合計 0pt.

NO.40 trasque さんが
>目的の為に他人の命を犠牲にする事を厭わない。これらの考えも、結論までには色々と厳格な相談、悩みを経た上での事ではないかと思います。
と書かれているのを読んで、やはり、trasque さんは、
相手を受け入れる、信じるということを、言葉だけでなく、心底、実践しておられるのだと思います。


私は、NO.18 と NO.39 を投稿しましたが、雑感や感想が中心となり、
自分の考えを分かりやすく述べることができませんでした。
なので、今できる範囲で、ではありますが、簡単に提示してみます。

最初に、NO.18 での、「正義も、イリュージョンなのでしょうか?」ですが、
私は、正義の100%がイリュージョンであるとは、思っていません。
イリュージョンという言葉を使ってしまうと、自分でも理解しきれなくなるので、
別の説明をします。
「サンタクロース」は、人間がいなければ、存在しなかったと思います。
でも、サンタクロースがいるという楽しい夢をみてほしい、と願う、大人から子供への愛は、
動物が子育てをする本能的な愛と、形は違えど、同じエネルギーだという気がするのです。
だから、人間がいない世界に、サンタクロースは存在しないけれど、愛は存在するように思います。
それと同じように、
正義の具体的な形は、人間がいなければ、存在しなかったけれど、
正義へ向かう、何らかのベクトルのようなものは、
たとえ人間がいなくても、この宇宙にあるのではないか?という気がします。

この場合の「宇宙」は、天文学や天体観測の対象としての宇宙というよりは、
人間の心身も含めた、すべてのもの、あるいは、哲学的な意味での、宇宙です。

NO.30 trasque さんの、隕石の件ですが、
私は、その例について応えようとするうち、ある考えを持ちました。
それは、サンデル教授の番組を視聴していなかったら、おそらく出てこなかった考えでもあります。
私は、愛と正義と公正を、区別してみました(言葉の認識の問題に過ぎませんが)。

(今までの私だったら、それら三つを、漠然と、同じようなもの、と思うだけでした。
それらを区別することが、意味のあることなのか、ただの独りよがりなのか、分からないですけど。)

命あるものが、生き続けようとすることは(生も死も含めて命を全うすることは)、命にとって、正義だと思います。
隕石が、惑星に衝突することは、完全に物理法則に従ったプロセスで、それは、公正だと思います。
その状況に直面して、地球と人類を守ろうと闘うことは、一つの、愛だと思うのです。

もし、その闘いが、非常にきびしく、勝ち目のなさそうなものだった場合、
衝突の日まで、普段どおり、自分の家族や大切な人と、時を過ごしていたい、と思う人がいても
それはその人なりの価値観で、その人の自由なのではないか?とも、思うのですが、
そういう人は”非地球人”でしょうか?
(私が、普段どおり過ごしたい、というわけではなく、私ならオロオロジタバタしてしまうと思いますが。)

「愛」が、自由意志をもってなされるように感じられるのに対して、
「公正」は、自由意志によらない、無条件に数値化できるもの、というイメージです。

その中間のどこかにあるのが、「正義」のような気がしています。
命が生きるとか、時間が未来から過去へ流れるとか、ものごとが進化するとか・・・。

正義は、必然ではないけれど、何故か当たり前のこととしてそこにあるもの。そんな気がします。


こんなふうに考えてみることが、現実の何かの役に立つとかではないと思うけれど、
私は、たまに、こういうヘンな事を考えると元気が出ます。