「英語」について考えてみよう
ません。それはそれで一つの見識だと思います。日本人にとって、英語は
「翻訳するもの」でした。外国の文化・学問を輸入して、それを翻訳した
のち、国内に発信する。これが大学の大きな役割でしたから。
ところが今は、学問にしても、ビジネスにしても、スピードが速まってい
て、そうした手順を踏んでいては世界に追いつけなくなっています。英語
で読んで、英語で理解し、英語で発信する。こうした直接性が求められる
時代になってきた。
英語の上手下手は重要な問題ではありません。内容のあることを英語で
発信する。それこそが大事なことなのです。そういう意味で前回の掲示板は
本当に素晴らしかったと思います。
こうした時代において、みなさんは英語をどのようなものとして捉えてい
るのか。あるいは、もしあなたが英語について苦手意識があるとしたら、
どこに苦しんでいるのか。どんなきっかけで苦手になってしまったのか。
体験談でも思想的なものでもよいので、英語について今考えていることを
書きこんでいただいて、議論につなげていただきたいと思います。
私にとって英語は「ここではない世界」へ行くためのパスポートです。
思いかえせば、最初に生の英語に触れたのは中学生の時、近くの英会話教室でした。アットホームな英会話学校で、イベントを頻繁にやっていました。そこに遊びに行くと、
ネイティブの先生とも仲良くなれたんです。中学生の私にとっては外国人で20歳ぐらいのお兄さんお姉さんというのは、とてもまぶしい存在で、彼らとおしゃべりするために夢中で英語を勉強しました。ルームシェアとか、ホームパーティとかいった、アメリカの若者文化も新鮮でした。
高校生の頃は、女性の英語の先生に憧れて、彼女に認めてもらうために、受験英語を勉強しました。洋楽や海外文学に詳しかったり、ひとりで海外旅行に行ったりする先生の生き方が、すごくかっこよく見えました。
どうも10代の頃は輝いている存在の近くには英語があった気がします。私が10代だった1980年代後半~1990年代の前半というのは、まだ「英語圏の文化が最先端」という意識が強かったのかもしれません。
20代、1990年代後半~2000年代は、どちらかというと仕事を得るため、資格試験用の英語を勉強していました。その頃は音楽も文学も日本のものに目が行ってしまって、10代の頃のような英語圏への憧れはちょっと薄れていました。
これが自分自身の問題なのか、90年代後半~00年代に移った世の中の、一般風潮なのかは、ちょっと分からないのですが。そのあたり、皆さんのお話も伺いたいものです。
ただ、資格は資格で意味があり、人生で何度かあった危機的局面では、いつも履歴書に書いた英語スキルに助けられました。(英語スキルとはいっても、一般よりちょっとTOEICスコアが高いというレベルなのですが)
そんなわけで、私にとって英語は、10代では憧れに届くための、20代では危機から脱出するための、パスポートだったのです。
そして…今、30代の自分にとって英語をどう捉えたらいいのか、あるいは2010年代以降、311以降の日本で英語をどう捉えるべきなのか、ということですが、「まだ見ぬ未来へのパスポート」になればいいなと思います。
私は311以降、日本人としての自分がリセットされてしまったような気がしています。そんな中、未来へ踏み出すにあたって、なるべく広く情報を求め、よりよい可能性を探るためのパスポートとして英語を学びたいです。
そのためには、英語圏の文化を吸収したり、資格試験に挑戦したりといった、今までのやり方よりも、もっと主体的に英語を学び、使う方法を考えなければなりませんね。