「英語」について考えてみよう
京都大学の英語の入試問題を見ると、英文和訳と和文英訳の問題しかあり
ません。それはそれで一つの見識だと思います。日本人にとって、英語は
「翻訳するもの」でした。外国の文化・学問を輸入して、それを翻訳した
のち、国内に発信する。これが大学の大きな役割でしたから。
ところが今は、学問にしても、ビジネスにしても、スピードが速まってい
て、そうした手順を踏んでいては世界に追いつけなくなっています。英語
で読んで、英語で理解し、英語で発信する。こうした直接性が求められる
時代になってきた。
英語の上手下手は重要な問題ではありません。内容のあることを英語で
発信する。それこそが大事なことなのです。そういう意味で前回の掲示板は
本当に素晴らしかったと思います。
こうした時代において、みなさんは英語をどのようなものとして捉えてい
るのか。あるいは、もしあなたが英語について苦手意識があるとしたら、
どこに苦しんでいるのか。どんなきっかけで苦手になってしまったのか。
体験談でも思想的なものでもよいので、英語について今考えていることを
書きこんでいただいて、議論につなげていただきたいと思います。
ません。それはそれで一つの見識だと思います。日本人にとって、英語は
「翻訳するもの」でした。外国の文化・学問を輸入して、それを翻訳した
のち、国内に発信する。これが大学の大きな役割でしたから。
ところが今は、学問にしても、ビジネスにしても、スピードが速まってい
て、そうした手順を踏んでいては世界に追いつけなくなっています。英語
で読んで、英語で理解し、英語で発信する。こうした直接性が求められる
時代になってきた。
英語の上手下手は重要な問題ではありません。内容のあることを英語で
発信する。それこそが大事なことなのです。そういう意味で前回の掲示板は
本当に素晴らしかったと思います。
こうした時代において、みなさんは英語をどのようなものとして捉えてい
るのか。あるいは、もしあなたが英語について苦手意識があるとしたら、
どこに苦しんでいるのか。どんなきっかけで苦手になってしまったのか。
体験談でも思想的なものでもよいので、英語について今考えていることを
書きこんでいただいて、議論につなげていただきたいと思います。
英語。
僕は今後、世界に対して自分個人として闘って生きたいと考えています。
現在の自分ではまだまだ及びませんが、英語はそのためには必要な道具であると考えています。
しかし!
全く持って表現できない!
これが現実です!
だから、何故かはわかりませんが、3.11を境に始めました。
それを始めてから思ったことなのですが、
英語を日本語に“訳す”という事自体無理があるような気がしました。
そら、そうか。
だって、元々同じ言葉であっても意味するところが違ってたりするんだから、違う言語を違う言語で説明する事自体無理があるんですね。
中学校の教科書を見ていたときに感じた嫌悪感の答えは、最近、中学を卒業して10年以上経過した現在、やっと答えを見出せました。
そして、勉強し始めて改めて感じたのは、日本語の面白さというか、大切さですね。
英語も言語ですが、日本語も言語です。
僕の魂は日本にあります。
それが何故なのかを考えると、日本語が母国語だからだと考えています。
今から英語やドイツ語を話せるようになったところで、それは僕の根底に存在する日本語を凌駕する事はナイト思うんです。
まあ、まだ何にも話せない人間が言うのもおこがましいのですが…。
ただ、自分の中に無い言語を学んでいる事自体は非常に楽しいです。
お陰で日本語の幅も増えてきたように感じます。
そして、ここで皆さんの英語での投稿は、現在のところ、憧れにも似た、高ぶりを覚えます。
以上、まとまりの無い、英語に対する僕でした。