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「英語」について考えてみよう

京都大学の英語の入試問題を見ると、英文和訳と和文英訳の問題しかあり
ません。それはそれで一つの見識だと思います。日本人にとって、英語は
「翻訳するもの」でした。外国の文化・学問を輸入して、それを翻訳した
のち、国内に発信する。これが大学の大きな役割でしたから。

ところが今は、学問にしても、ビジネスにしても、スピードが速まってい
て、そうした手順を踏んでいては世界に追いつけなくなっています。英語
で読んで、英語で理解し、英語で発信する。こうした直接性が求められる
時代になってきた。

英語の上手下手は重要な問題ではありません。内容のあることを英語で
発信する。それこそが大事なことなのです。そういう意味で前回の掲示板は
本当に素晴らしかったと思います。

こうした時代において、みなさんは英語をどのようなものとして捉えてい
るのか。あるいは、もしあなたが英語について苦手意識があるとしたら、
どこに苦しんでいるのか。どんなきっかけで苦手になってしまったのか。
体験談でも思想的なものでもよいので、英語について今考えていることを
書きこんでいただいて、議論につなげていただきたいと思います。

NO.19   trasque 2011/06/17 03:04:40 合計 0pt.

英語を取り組むにあたってとてもタメになる書き込みが沢山ありますね。
「なんとなく伝わる」というモノの大事さとか、それを磨いていく事だとか。
「伝えようとする気持ち」の大切さとか。「論理」があれば読めるし伝えられるとか。
英語で書く事によって、日本語での思いが整理されていくだとか。

数ヶ月前に「日本語の作文技術」(本多勝一さんの著作)という本を読みました。
普段扱っている日本語をあえて勉強する必要があるのか、それも作文の基本なんて…… と思っていましたが、読んでみるとなかなかどうして「こんな事すらわかっていなかったのか!」と反省の連続でした。
修飾する側とされる側、修飾語が複数ある時の並べ方のルール、「テン」の打ち方についての明確な考え方などなど「書き方」を考える上で、<曖昧ではない>指導がそこには載っていました。

国語の授業で私が説明されていた「テン」の打ち方は……
「”私は”の後にはまずテンを打ちます」と言ったようなものでした。
しかし、これを読んだ後では「必ずしもそうではないじゃないか」と明確な理由を持って考えられるようになった訳です。日本語の事、日本語を書いて「わかりやすく」読ませる事、などについて全然分かっていなかった! と衝撃を受けました。
「国語の授業」とは一体何を教える所なのか。今更ながら考えさせられた次第です。

ryosuke85さんが仰るように……
「それは僕の根底に存在する日本語を凌駕する事はないと思う」という点……
日本人として日本語を扱ってきて、それを拡げずして諸外国の言葉が広がりを見せる事は難しいのではないか、ということでしょうか。しかしながら、外国語を学ぶ事で「同時に日本語の幅も拡がる」という双方向性はとても強力なものだと思いました。

英語を扱う上で<直接性>の大事さをみなさんが指摘されている中で、私はorcamieさんやmasamiさんの英語をなんとか翻訳して理解しようとしていました。中にはcezaimarさんが仰るように「なんとなく読めそうな英文」もありますが、どうしてもまず翻訳してしまおうと思ってしまうのです。
これが間違いではないと思うのですが<直接性>を得る為のステップは、そう簡単な訳でもないのかもしれないなと思ったりします。

文章が文字列として並んでいる事と、言葉が音声として流れる事とでは、言語の使い方は大きく変わってきます。日本語だけでもそれは体験できますから、たぶん、英語でもそうなのだろうと思います。
「日本語の作文技術」を読んだ時に、「わかりやすく読ませる日本語を書く」為には、これまで口語で扱ってきた日本語とは別の言語を学ぶ感覚で取り組まねば習得できないと感じました。

ですから、たぶん、音声での訓練が圧倒的に足りないのだろうと思います。日本の教育全体がそうなのかは分かりませんが、やっぱり「文字列の翻訳」に費やした時間の割合が多いように思います。
なんとなくこの掲示板に「書かれている事」なら読めそうに思えるというのも、その辺だったりするのでしょうか。そう考えて、もっと<直接的>に英語を体験できる機会を作っていきたいなと考えた次第です。