「英語」について考えてみよう
ません。それはそれで一つの見識だと思います。日本人にとって、英語は
「翻訳するもの」でした。外国の文化・学問を輸入して、それを翻訳した
のち、国内に発信する。これが大学の大きな役割でしたから。
ところが今は、学問にしても、ビジネスにしても、スピードが速まってい
て、そうした手順を踏んでいては世界に追いつけなくなっています。英語
で読んで、英語で理解し、英語で発信する。こうした直接性が求められる
時代になってきた。
英語の上手下手は重要な問題ではありません。内容のあることを英語で
発信する。それこそが大事なことなのです。そういう意味で前回の掲示板は
本当に素晴らしかったと思います。
こうした時代において、みなさんは英語をどのようなものとして捉えてい
るのか。あるいは、もしあなたが英語について苦手意識があるとしたら、
どこに苦しんでいるのか。どんなきっかけで苦手になってしまったのか。
体験談でも思想的なものでもよいので、英語について今考えていることを
書きこんでいただいて、議論につなげていただきたいと思います。
正義のテーマのところでtrasque さんが自分の人生について語っていたので
そのお礼に私の人生と英語ということでお話ししたいと思います。
私の大学での専門はフランス文学でした。大学時代は大学が終わると夜は英語の通訳養成学校に通い英語とフランス語を両方をものにするんだという勢いでした。
ところが大学2年で母が、3年で父と祖母が癌になってしまい 大学3年の頃から私は卒業するのが精一杯で家業の手伝いと看病に明け暮れました。卒論は 後3ヶ月しか持たないだろうと言われた父のベッドの下で書きました。病院は9時に消灯してしまうので 灯りをつけて病人に迷惑がかからないように小さな電気スタンドをベッドの下に置いて腹這いになって卒論を書きました。卒論のすべてをそこで書いたわけではないのですが、何か辛い事があるとベッドの下で卒論を書いた事を思い出すのです。大学卒業して家業を手伝わなければいけなくて 英語やフランス語を使う仕事は断念しましたが 祖母が亡くなって両親も元気になったところで 英語関連の就職を見つけたかったのですが、地方都市であったために大変難しかったのです。そのときtoeicのスコアが780でしたが toeicって何?という感じでした。英語はパスポートにはならなかった例です。英語とは無関係の仕事をしながら 余暇に通訳養成コースに通ってそこで通訳アシスタントの仕事を貰い念願だった英語の仕事を2年だけすることができました。その後紆余曲折を経て今もまた英語に関係する仕事をしています。
今では なかなか思うようにいかなかった事が 私を育てたと思います。大学卒業して順風漫歩だったらとっくに諦めていた事かもしれないと思うのです。
実はこれも英語で書こうかなと思いましたが 英語で書く事は逃げる事だなという思いがあって。私にとっては 英語も日本語もどっちも不完全で自分の考えを伝えきれているだろうかと常に疑心暗鬼なんです。trasqueさんが ご自分を支えてくれた全ての事があって現在の自分があるということ 私にとってはある意味救いです。祖母や両親の看護・介護をしていた時 彼らの命や闘病を支える事は必要だけどそれと自分の人生を両立させるのはどうしたらいいかと随分悩みました。その時マイケル・サンデルの講義を知っていたら 少し違ったかなと今思いますし その時随分悩み抜いた事が今の私を支えているとも思えるのです。
今回英語がテーマなので 私はたくさん書き込んでしまいました。そのことで“I’m sorry.”とは言いたくないのです。それよりも英語にしろ、日本語にしろもっと読んだ人が書き込みたいと思うような投稿ができていないのではないかと そのことが悔しいし残念です。もっと自分のコミュニケーション能力を磨きたいと思っております。