学びの場はどうあるべきか
適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。
規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。
ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。
このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。
NO.9 chigusaotsuki san Thank you for answering me. Now I can acquire more accurate understanding of your comment.
The importance of the emotional competence for high achievers reminded me of a book [脳はもっとあそんでくれる 茂木先生の本です] . I am likely to estimate the value of the emotional abilities rather low unconsciously. Because I am sometimes afraid of not controlling my emotion while I am doing some intellectual activities. I think we could conduct better if we can find out how to create the fusion of intellectual and emotional activities all together.
I always make to-do-list. But problem is that I always make a difficult one to be carried out. And then I used to be depressed a lot when I couldn't do it. Recently I solved it by making always another one. Everyday I am facing a kind of deadline.
I think "wondering" is always wonderful even if you don't feel in that way. You may be able to find a new way of thinking.
感情面での能力(the emotional competence )をもっといい日本語にすると 感性となるのでしょうか。知的活動において感性も大事だと思いながら ときどき邪魔に感じてしまう事がわたしはあります。知性と感性をバランスよく使いこなせると 知的活動ももっと高度な内容を実現できるのかもしれません。
私はいつも予定表をつくるのですが 実行できないと以前は精神的に落ち込んでいましたが、最近では 作り直す事で落ち込まないことにしています。
「迷う・さまよう」ということはすごくいい事だと思います。迷っているときはあまりうれしくはないかもしれませんが。迷っているうちに新しい考えに行き着く事もあるからと思ってます。
以上 英語のようやくです?
評価については 投稿を活気づけるような方法があるといいですね。成績恐怖症の私は評価と言うと恐ろしいですが。(^^;テレビの番組だあったとおもうのですが、タイトルをわすれてしまって。たとえば、誰も使っていない言葉をつかって テーマについてコメントしたら1pとか。これは素朴な評価ですが。わくわくどきどきが無くならない評価の仕方があるといいですね。