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学びの場はどうあるべきか

松下村塾や適塾といった「私塾」のあり方を見直すべき時期にあると思います。現代では「塾」というと、大学受験のための予備校の印象しかありませんが、幕末という激動の時代に多数の人材を輩出した「学びの場」は、はたしてどのような場所であったのか。

適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。

規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。

ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。

このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。

NO.16   trasque 2011/06/27 01:50:33 合計 0pt.

学びの場に必要なもの、それは「目的」と「同志」だと思います。

さまざまな学びの場がありますが、私達は「何の為」に学ぶのでしょうか。
ある資格を取る為、お金持ちになる為、有名になる為、何かを成し遂げる為。
「何の為」とは「目的」のことです。私達は何の為に、どんな「目的」を持ってこの夜間飛行の掲示板に参加しているのでしょうか。ひとつこの点を改めて考えておきたい、と考えました。
「目的」を目指す為に存在する一つ一つの段階を「目標」として設定しクリアして、それを繰り返しながら目的に近づいていきます。
「ある資格を取る為」は目的なのか、目標なのか。ある時点では、確かに目的とも言えますが、では取得した後はどうでも良い、という訳でもありません。
その資格を活かして仕事をしたい。その仕事を通してお金を稼ぎたい。お金を稼いで生活を安定させたい。では、生活を安定させてどうするのか。
こうして考えていくと、どれも「目標」に過ぎないようにも思えます。
目的を追い込んでいくと、どんどん「人間として根源的な部分」に行き着くことが多いのではないかと思います。もちろん、中には「生活を安定させる事が大目的で、それでいい!」という方もいるかも知れません。
この点について、結論から言いますと私は「人間として正しく、強くなること」といった事を目的としてあらゆる事を学ぼうとすべきではないか、と考えています。

No10竹内さんが指摘されている「手段と目的の間違い」は非常に重要なものだと私は捉えております。「良い学校に入る事」が目的となっていて、その先が無い。良い学校に入る事は一つの目標に過ぎず(竹内さんの表現では「手段」です)、それが最大の目的ではないのは明白です。しかしこの間違いが目的として定められている以上、大学は学力テストの点数だけで合否を図り、小中高とそれにあわせた教育が繰り広げられる事になります。
そして「点数」が良ければ「良い会社」に入れる。経済的に安定するという方向になっていきます。これはひとえに「経済的に優位になりやすい人になる事」を教育の大目的としている、とも言い換えることができるのではないでしょうか。

この掲示板に参加する時、恐らく皆さんは「何かを得よう」と思って書き込まれているのだと思います。多くのネット上にある「その他のBBS」とは、明らかにその比重が異なる事を私自身感じております。
それが「学ぼうと思っている何か」だと思いますが、では、私達はこの掲示板で得た事をそのまま「経済的に豊かになりやすいから」という風に考えているのでしょうか?
恐らく、答えはNoだと思います。参加されている皆さんは、もっと先の、奥底にある「目的」に近づかんが為に、この掲示板を読んだり、書き込んだりしていると思うのです。(茂木さんのメルマガについても同様だと思います)
もちろん、仕事の上でよりよい働きをしたいと思われている方もいると思いますし、それを批判しようというものではありません。あくまでも「経済主義」ではなく、人間としての成長、というようなものが根底にあるような目的を、それぞれお持ちなのだろうと思うのです。

私は学びの場に「何の為に学ぶのか」という目的を持つべきと考えます。
そしてそれは常に突き詰められていき、忘れてはならないのだと思います。
ちょっといちいち声に出すのも恥ずかしい気がしますが、例えば「人間としてより強くある為に」とか「日本をより良く出来る一人になる為に」とか、更に「世界の平和に貢献できるようになる為に」とか、どんどん突っ込んでいっていけば良いと思っています。
そういった「人間主義」的な目的は、表現や度合いの差はどうあれ、それぞれ共通したものになっていくと思います。(☆1)

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一言で「人間的な目的」としても、それぞれあまりにも状況が異なります。
例えば私なら「病気になって一旦は落ちこぼれてしまったが……」というその先をどう生き抜いていくのかという問題から、かえって「その悩みの中で得たものをどこかに還元できるかもしれない」と昇華してみようとするかもしれません。
あまりの貧乏を課題とする人だったり、また逆に資産を持ちすぎるが故の悩みもあるかもしれません。十人十色、千差万別、それぞれの中で「人間としてより進もう」という目的は一緒でも、その途中の目標は大きく異なってきます。

だから私は二つ目に必要なものとして「同志」を挙げたいのです。

同じ学びの場に、同じ目的を共有する人々が、それぞれのステージで異なる戦い(☆1)をして、また改めて学びの場に集う。こういった姿が理想ではないかと思っています。
あくまでも自己の問題は自分で解決していかねばなりませんから、悩みの中で答えが見えない場面が多々出てくるのが当然の姿でしょう。
ですから、この掲示板のような場で集い、それぞれの状況を話し、どんな挑戦をして、どんな悩みにぶつかったのか、ということをお互いに交換して「目的」をより明確にしていく必要があるのだと思います。
自分とは異なる状況で悩む人が行った「挑戦」が、自分の挑戦の指標になるといった形です。これは「目的」を同じくする同志だからできる事だと思っています。この点はNo.8:LAMPRIGERAさんの「課題一つ目」に対する、一つの返答になるかなあ、とも思います。
現在の学校教育では「点数」を取るという部分で評価される為に、それが目的となっています。ですからクラスメイトはみな「同志」である事に変わりは無いのですが、その目的を達成する為の目標が「ほとんど一緒」なので、上記のような切磋琢磨はありませんし、また非常に偏った評価と言わざるを得ない、と私は考えます。


「目的」とか「同志」とか重苦しい表現をしてしまいましたが……
私達はこの掲示板で真剣な投稿を続けている限り、これは結構満たされているんじゃないかなと思っています。
気持ち悪いかもしれませんが、私はこの掲示板に参加されている皆さんを勝手に「同志!」と思い込んで勉強させて頂いてたりします!

この掲示板に限らず「何の為に学ぼうとしているのか」を常に忘れずにいたいと思う次第です。
この点について、No13でmasamiさんが言及しているお話はとても大切な視点だと思います。震災以降「何の為に生きているのか」と迷う人々が増えたと聞きます。
「学びの場」に限らずとも「何の為」という点を、実は真剣に考える場面が少なかったという人は、残念ながら多いのかもしれません。

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この掲示板における評価システムの話題で……
私は個人的に「システム上で配分されるポイント」のような機構はあまり好きではありません。私はTVゲーム(PCゲーム)が好きで、色々とプレイしているのですが悪い意味での「得点の稼ぎ方」がどうしても存在してしまう事を連想してしまうのです。
昨今、海外産のゲームが国内外で高い評価を受けていて、同じゲームの中でも「人間同士の対戦」を意識した機能が盛り込まれており、むしろ「対戦」をメインに据えたゲームも増えてまいりました。
パーティ的にワイワイと楽しむ為のゲームならばあまり気になりませんが、賞金を稼ぐようなプロゲーマーが存在するゲームタイトルでは、その得点や評価のシステムがとてもシビアに設定されたりしています。
この手の「対戦ゲーム」を世に出すメーカーとして「ブリザード」という海外の会社が大きな評価を得ています。1対1のガチンコ勝負を売りとして、全世界のプレイヤーを厳密に評価するためのシステムを研究し、最近新たなゲームをリリースしました。
そのゲームの評価システムはやはり評価されました。これまでのどのゲームよりも「公平」で「厳正」であると言った様な形でしたが、それでも「穴」は存在するのです。
ゲームとして「ルール」が存在するという事は、行動を大きく制限されている事を意味します。だからこそ、まだなんとか公平に近い評価を行えるというのが「システム」の限界だと思うのです。
もし、掲示板のような「自由意志」を尊重する場でシステムを設計するとすればそれはどうしても「穴だらけ」になってしまうのではないでしょうか。
「得点さえ取れればよい」という書き込みを狙って行われてもつまらないですし、結局そうなってしまっては得点の意味がなくなり、だれも参考にしなくなってしまう事にもなります。

否定だらけの意見になってしまいましたが……
私も何らかの評価と言いますか「書き込んでよかった」と思える何かがあればまた違うかもしれないと思っております。
評価システムという点で見れば既に茂木先生のメルマガで取り上げて頂くといった事や、投稿者が他の投稿を引用したり言及したりする事が、そのまま評価システムになっているのではないかなとも思います。
また、具体的には何も思いつきませんが、この掲示板の「敷居」が上がってしまっているような気もしていて、このあたりなんとかならないかなあと思っています。(私が長すぎる文を投げてるせいかもしれませんが……)