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学びの場はどうあるべきか

松下村塾や適塾といった「私塾」のあり方を見直すべき時期にあると思います。現代では「塾」というと、大学受験のための予備校の印象しかありませんが、幕末という激動の時代に多数の人材を輩出した「学びの場」は、はたしてどのような場所であったのか。

適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。

規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。

ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。

このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。

NO.17   chigusaotsuki 2011/06/27 09:09:14 合計 0pt.

うーん、今回は、嫌われることを、書きます。
ルールって、枠を決めると、枠をはみだすものが出てきて、それで、何のためのルールであるのかを、議論しているうちに、そのルールが、無効になっていて、でも、しきたりのように、ルールだけが、残るのは、今の古い日本では、ないのかなあ。
私は、自分の書いていることを、評価されても、評価されなくても、どちらでもよいのですが、茂木さんは、アルタネイティブって、ツイッターで、言っていたような。
アンチではなくて、アルタネイティブって。
まさに、私の書いていることも、1つのアルタネイティブに、すぎないんだけどなあ。
学びの場に、必要なものは、アルタネイティブのような、自由なたくさんの選択肢で、こうやったら、もっといいかも?っていう、たくさんの意見の中で、自分に合うものを、見つければいいんじゃないのかなあ。
本当に、有効な評価って、すべてのデータを集めているという、妥当性と、この数字は、正しくて、測定結果が、一貫しているという、信頼性に、基づくものでは、ないのかなあ?