学びの場はどうあるべきか
適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。
規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。
ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。
このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。
評価については 私自身苦手なもので 評価なしなら しめしめという気持ちが
むくむと湧いてきます。
が、ここはあえて生温くならないように あえてこの場所で評価するとしたら
と考えました。
個人個人を評価するより、言葉に投票したらどうでしょう?
今回のテーマに沿って 重要だと考える言葉を各自3語選ぶ。
この掲示板は 相手の姿は見えない。
ことばが 歩いたり 走ったり 飛んだり 時には格闘している。
目的は 各人あるかもしれません。
でも テーマをできるだけ深く掘り下げて 幅広く 多角的な見地から 捉えたい。
というような部分は必ずあると思います。
何人が投票に参加して、共感することばがあるか、
そのテーマに関する 人の感じ方の傾向のようなものがわかるといいな。
そうするとその後のテーマで 違う方向へ 違う傾向でできないのかな
という目安にならないでしょうか。
No17のchigusaotsukiさんの言われるようにルールの有効性に関しては
いろいろ疑問が残りますが
ルールを決めてもそれをずーっと続ける必要はないと思います。
ここに参加されてる人は 無効になってもそのルールをしきたりのように
残したい人はいないように思います。
私自身本当にルールを望んでいるかどうかハッキリ決めかねてます。
例えば掲示板の表記を変更可能でしょうか。
ツリー表示にするとどうなるかなのように考えます。
そうすると自分の確認したいと思った投稿にすぐ行ける。
ただしこの長い投稿を行ったり来たり読んで
考えるスタイルも嫌いではないです。
ツリー表示ししてしまったら
自分の繰り返し読んだ部分だけで自分の意見を形成することになり
偏ってしまうかなとも思いますし。
それにしても茂木先生は なぜ適塾のポイント制を紹介したんでしょうね。
色々質問したい事がたくさんあってでもひとり一つなのでこれもすぐ聞かないで
考えようと思っています。
大学のたこつぼ化については
急激な少子高齢化と 大学の独立法人化が 影響している面があると思います。
大学間の競争が高まり 質の高い教育を提供する代わりに
生徒を獲得したらそれで終わり。
たとえば学生数の増加を狙って
司法試験合格のための大学院?を増設して
実際には合格しないなどの不満が続出したり。
生徒も有名大学に入ったら終わり
学校も生徒を獲得したら終わり。
どちらも短絡的で 効率や利益が優先する結果でしょうか。
たしかに存続するためには利益が必要ですが
長期的なビジョンに立ち 質的向上を同時に成し遂げる
という部分がどちらの側にも欠落しているように思います。
質的向上がなかなかできない背景に
日本全体が 全国画一的な様相を呈しているかもしくは望んでいる。
今は少し違うかもしれませんが
東京のような暮らしを 便利で快適な暮らしに価値を見いだす。
地方の特色を尊重して来なかった 日本の政治の弊害かもしれません。
日本人の特性なんでしょうか。
私の考えも迷い始めて取り留めなくなってきました。
理想の学びの場は No16のtrasqeさんのおっしゃるように
「目的」をはっきりと定める事がかなりのウエイトを占めるということ
賛成です。