学びの場はどうあるべきか
松下村塾や適塾といった「私塾」のあり方を見直すべき時期にあると思います。現代では「塾」というと、大学受験のための予備校の印象しかありませんが、幕末という激動の時代に多数の人材を輩出した「学びの場」は、はたしてどのような場所であったのか。
適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。
規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。
ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。
このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。
適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。
規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。
ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。
このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。
「学びの場」の響き、素敵だなと思います。
振り返ってみると、勉強はおもしろいと思わなかった、するものだからやっていた学生時代。
だから社会人になったときにも宿題やテストがなくなって良かったぐらいにしか思わなかった気がします。
それから十?年、学ぶことって楽しいことなんだと感じているこの頃。
そのちがいは?と考えてみると、学ぶことは自分のことなんだなあというのがわかったことが大きい気がします。
学校での勉強は受け身だったんですね。
今は自分の関心から学びが始まるので、わかったときリアルに嬉しいです。
大人になっての学びのいいところは、社会という現実を見ながら考えることができることだと思ってます。
NO.8LAMPRIGERAさんの「考えたことをきっかけに日常生活でちょっと行動を変えてみたとか、考えたことと生活がなにかリンクした」というところに共感しました。
この掲示板は一つのテーマについてみんなで意見を出し合っているのでおもしろいです。大切なテーマでもこういうこと人とあまり話したりしないですよね。
自分が考えているときにいい意見を見ると「なるほど!」の思いが深くなることにも気付きました。
学びの場は人と人が行きかう場所。
こどもの頃に家で退屈して「ちょっと近くの公園にいってくる!」と出かけて、知ってる友達に会った時のうれしい気持、こんなかんじが掲示板にあったらいいなと思いました。