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学びの場はどうあるべきか

松下村塾や適塾といった「私塾」のあり方を見直すべき時期にあると思います。現代では「塾」というと、大学受験のための予備校の印象しかありませんが、幕末という激動の時代に多数の人材を輩出した「学びの場」は、はたしてどのような場所であったのか。

適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。

規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。

ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。

このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。

NO.26   LAMPRIGERA 2011/06/29 02:56:56 合計 0pt.

>ノートをとらなくても、頭に入る天才をなぜ、特別に育てず、見捨てるのか?(No.23)

サンテグ・ジュペリが『人間の土地』の最終章で述べていることですが、人間の世界には、植物の育種家(園丁)のような存在があまりにも少ないから、このように「天才が見捨てられる」事態が起きるのだと思います。園丁というのは、変わり種、「新しい苗」を、育て大事にする人のことです。変わり種や新しいものの良さを理解し、その良さを引き出していく能力のある教育者は本当に少ないのではないかと思います。良いものが適切な対処を受けず、腐っていくというこは、terurunさんの指摘の通り、現状ではよくあることだと思います。

ですが、今、情報技術がこんなにも発達してきているのだから、たくさんの新しい苗と優秀な園丁が、例えばネット上で出会えるようにする、ということは可能になってきているのではないでしょうか。そして、そのようなプロジェクトの一つが夜間飛行であると理解しています。

茂木さんは現代の園丁のお一人だと思います。この掲示板を介して、もっとたくさんの「これから開こうとしている芽」が園丁と出会うチャンス、開花していけるようなチャンスを提供するために、どのような改良ができるのか?

ポイントの導入にしても何にしても、本当の目的は、つまる所そこにあると思います。広い視野を持って様々な価値を認め、育てることができる人間と、今、現に開こうとしながらも様々な圧力の下にある芽が出会い、互いを育てていくような環境が必要です。

どうやったら、よりたくさんの芽が集まってくるのか、どうやったらそれをきちんと育てていくことができるのか、そのための一つの案として、ポイント制ということが検討課題に上がってきているのだと思います。だから、本当に投稿のハードルが上がるとか、委縮するとかいうことがあるのなら、導入は全く無意味だと思います。しかし、もし活性化するチャンスがあるのなら、それも検討してみる必要があると考えます。

例えば、僕はまた節操のないことを思いついたのですが、ポイントを茂木さんの著書や、講演の招待券に変えられるようにするのはどうでしょう(図々しいかな)?こうすれば、ポイントは「使うもの」になるので、序列の指標にはなりません(笑)ホリエモンのメルマガでは、毎回抽選で賞品をプレゼントしていますが、夜間飛行ではそれを掲示板でためたポイントと交換するわけです。またしても実現可能性は検討しておりません…

trasqueさんの指摘(No.16)に対してですが、点取り屋さんみたいな人が現れるとしても、掲示板の進行としては実害はないと考えています。投稿が多ければ、質が希釈されていうようと、次の発想に繋がっていく可能性は高いです。だから結果的には投稿の活性化になると思います。また、現時点で、掲示板を見ている限りではそのような人はそうそう表れないのではないかと思っていますが、どうでしょう。
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ところで、これを書いていて思ったのですが、茂木さんのように、僕らもまた園丁となり、新しい芽を育てられるような人間になること、それがここで学ぶ目的の一つかもしれないですね。

ちなみに、僕は「新しい苗」というときに、年齢のことでくくっているわけではありません。また、「変わり種」に対して「普通の種」があるかというと、そう思っているわけでもありません。「普通の種」があるように見えるのは、同調化圧力の結果、多くの人が「普通の人」として共有されている概念を演じるようになってしまったというだけの話で、みんな素になってしまえば、本当は普通の人なんていないんでしょう、と思っています。(念のため)
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そうだ、もう一点。

>色々書きたい話はありますがもうこんなに長くなってしまった…!そろそろまとめに入りたいと思います。(No.20)

時間が許せば、ぜひ全部書いて頂きたいですね。ビバ長文、ということで。