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学びの場はどうあるべきか

松下村塾や適塾といった「私塾」のあり方を見直すべき時期にあると思います。現代では「塾」というと、大学受験のための予備校の印象しかありませんが、幕末という激動の時代に多数の人材を輩出した「学びの場」は、はたしてどのような場所であったのか。

適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。

規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。

ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。

このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。

NO.29   trasque 2011/07/01 03:36:33 合計 0pt.

またも私的な事を書き込むことになりますが……
先々週より、隣の古い長屋のようなアパートから怒号が響いてきました。子供の泣き叫ぶ声も聞こえてきて、更には何かを叩くような音まで伝わってきたのです。一過性のケンカかなとも思ったのですが、その「叫び方」は少し離れた自宅にいてもゾッとさせるものがありました。また、私の家族はそれぞれ違った時間帯で動いているので、状況を聞き整理してみると1週間程、時間帯を問わずそのような「喧騒」を起こしている事がわかりました。
結局、私が休日の時、またも昼間に「喧騒」が始まったので、場所を突き止めて一度訪ねることにしました。出てきてくれたのは同世代と思われる女性と、痩せ細った小さな男の子でした。喧騒の先入観もあったのかもしれませんが、とても子供とは思えぬ「弱さ」を感じてしまいました。その場は「大丈夫ですか」と一言伝えただけとなりましたが、どうやら周囲の住人が市に連絡をしたらしく、民生委員らしき方が訪問してくるようにもなりました。
お節介とは思いつつも、今週から私の母と相談しつつ、時々訪問してみようという事になりました。「虐待」とまでは行かないにしても、その子がどうなってしまうのかと心配でならないのです。

なぜこのような事を綴るのかと言いますと、子供達への教育を考えた時、現代ではすでに「学校中心」、ともすれば「学校が全て」となっていると感じるからです。また、それは事実だとも思います。
皆様の書き込みの中で、これだけ「学校の持つべき教育の考え方」に転換や反省を必要とする意見が挙げられる状況にも関わらず、現実では「とりあえず学校でうまくやれればいい」と丸投げになっている地域が多いのではないでしょうか。
私は都内で生まれ、都内に近い千葉で育ちましたので、いわゆる現代の都市型の環境にいました。地方の状況はわかりませんが「地域のつながり」がほんとうに断絶してきてしまっていると感じております。

数年前に、地域の子供会に対しボランティアのような形で携わったことがあります。参加対象となる子供達の家々へ「開催のお知らせ」等といった名目で次々と訪問する事がありました。20代の「お兄さん」的存在との繋がりは珍しいもののようで、不在時の手紙に記していた携帯番号などを知って喜んでいる事などを親御さんから聞く度に「地域の教育」はどうしても不可欠ではないかと思わされてしまいました。

私自信も小・中学生時代に面倒を見てくれた「お兄さん・お姉さん」が居まして、学校・友達・家庭では話さないような事を不思議と話せてしまう事が嬉しかった記憶があります。また、少なからずその後に躓きかけた時の支えになった部分もあったのです。
また「学校」は規則性の強い場所ですから、いわゆる「弱者」になってしまう子供が、その子供自ら身を引く事を考えざるを得ない状況も発生したりします。授業に行きたくない、勉強についていけない、だからといってそれを表明する事すら許されない。と、そこまで酷い状況ではないにしても、子供会のような所では「参加したくない」といって叱られることはありません。
私自身が直接「行きたくない」と言われても、それで悪い事は無いんだよと言ってあげられる事の意味は少なからずあるのではないかと感じたのです。行きたくなくても、会ってくれるのならその場で色んな話をすれば良いと、当時の私は考えました。
学校の先生ほど多数、かつ長期間の子供を面倒見る訳ではありませんから、確かにその分「甘い」のだとも思います。しかし、子供はまさにそれぞれ千差万別であって、子供達の感情は濁流のように常に溢れているものの、全て「活きるべき」ものだとも思います。


話は変わって……
私が現在仕事で通っている一つの現場に、一人「不思議な人」が居ます。詳しくは判りませんが、その人は何となく知的障害のような感じがあって、うまく仕事ができない雰囲気があります。私が外部の人間として伺っているだけなのもあって、ほとんど関わりがありませんが、その現場を見ているとその人は同業の人たちから「疎まれている」のが私にも伝わってきてしまうのです。
接客を要する現場ですので、他の人たちはその人へ「余計な事をするな」と言わんばかりの態度で接しているのが伝わってきます。実際にその人への指示も乱暴で、そこで大人しくしていろ、と放置されてしまっている……そんな状態なのです。
私はその現場を見るたびに頭を悩ませています。どうして積極的に、粘り強く育てようとしないのだろうと。ただ出来ない部分をみてイライラして解決せず、ずっと放置する事を、一体いつまで続けるのだろうと考えてしまうのです。
外部の人間で、かつ立場の弱めな私が、一体どこまで意見して良いものか今現在悩んでいる所だったりもしますが機会あらばその人と対話を持とうと画策しています。


この二つの話をさせて頂いた理由としては、現在の「教育」「社会」は、「人間が最優先ではない」という部分があるなと感じたからなのです。もちろん割と極端な例だと思いますし、素晴らしい現場はたくさんあるとも思います。
私は「学びの場」において、優劣は一旦無関係であると思うのです。あるとすれば「怠惰」の優劣かもしれません。その人の身体的・能力的なハンデや、知識・学識の多少が序列を作るものではないと思っています。

yamanorisuさんが仰る「みんな違って・みんな良い」の精神。
LAMPRIGERAさんが仰る「素になってしまえば、本当は普通の人なんていないんでしょう」ということ。
竹内さんが仰る「化学反応」の為に、あらゆる価値観を認めていこうとする気概。

どこか、共通するものがあるように感じます。
同じ場で車座になり会話する時に、優秀な専門家・博士の話も、身体ハンデを抱えつつどう生きるかという話も、共に同じくらい真剣に聞けるものではないかと思います。

そういう意味ではNo26でご返答頂いたように「点取り屋さんが居たって良い」のかもしれない、と思いなおしました。点を取る事を自ら喜び、誰かが点を取る事も素直に喜べる、ただそれだけでも良いのかもしれませんね。