学びの場はどうあるべきか
適塾で勉強した福澤諭吉は自伝のなかで「枕を使って寝たことがない」と書いています。これらの私塾には、そうした猛勉強が行われる土壌があったわけです。塾生同士がお互いに刺激し合って、切磋琢磨する学びの場。
規模は関係ないと思います。適塾でも1000人程度、松下村塾などは数十人程度の塾生しかいなかったようですが、その中から高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末の志士たちが出てきました。特に現代にはインターネットがあります。
ですから、このメルマガを購読してくださっている人たちが集まれば、十分に適塾も松下村塾も作れてしまいますし、日本を変えることができる。
このメルマガそして掲示板はすでに有効な「学びの場」になり始めていますが、さらなる発展を目指すために、あるべき「学びの場」の姿について考えてみませんか。日本の教育全体に対するご意見でも結構ですし、このメルマガや掲示板をよりよく運営するためのアイデアを出していただいても結構です。例えば、適塾では「ポイントシステム」を採用していて、良い成績を取ると席次が上がっていったそうです。切磋琢磨の仕方にはいろいろな形がありえます。ぜひ考えてみてください。もし良いアイデアがあれば、さっそく採用してみたいと思います。
メルマガや掲示板を使った学びの場という内容では、
残念ながら今のところ考えが無く、投稿できませんでした。
NO.30 motakeen さん
>他人とは違う自分の発見。自分に響くものの探求。
NO.31 ryosuke85 さん
>社会と個人の関係性の中で、いかに社会に自分を打ち出していくか、という気概を育む事
大いに共感します。
特に学問をするということではなく、社会に出ることを意識した場合の、学びの場で
重要なのは、自分自身について学ぶ、ということだったのではないか?
今となっては、そのように思います。
自分がどういう人間なのかを知ることが、世界について知ることと平行してなされなければ、
その人間は、社会に出てどうやって生きていったらいいのか、分からないままだと思う。
市場で通用する価値を生み出さなければ、資本主義社会で自立して生きていけない。
いろんなことが出来る優秀な人は、自分の良いところを見つけるのに苦労はしないだろうけど、
そうでない人は、何とかして1つでも良いところを見つけて、悪いところをカバーしなければ、
働く場も、自分の居場所も、見つけることができなくなる。
私は、年齢相応の人間関係が築けないということが、
生きていく上でかなりの障害となる、重要な問題だということを、
学校・学生時代に、学ぶことができなかった。
実社会について、何も分かっていなかった。
そのことを、気付かせてくれる人もいなかったし、
自分で深刻さに気付いていなかったのだから、どうしようもない。
遅くとも二十歳になる前に、人は、自分自身と本当の親友になっているべきなのかも知れない。
でも、何歳になったって、遅いということはないと思う。
もちろん、間に合わないことは多々あるが、
こういう人生だからこそ出会えたことや知り得たことが山ほどある。
そんなことより、どんなことより、今の私は、やっと、私にとって何よりもたいせつなものが分かっている。
話がそれたので 戻します。
AKB48の人たちも、選挙で、彼女達自身について知ることになるのだと思います。
(選挙が公平かどうかは、疑問です。投票者は、1人一票とは決まっていず、CDを多く買えば
多く投票できるそうで、中には、CDを1人で2千枚買った人がいるらしい、と噂に聞きました。)
お互いに切磋琢磨するのは、自分の得意なことと そうでないことを、見極めるために必要だと思います。
自分の限界を知った上で、さらに努力することも、方向転換することも、できると思います。
闘争心というのは、どちらかというと、男性的な要素のように思わなくもありません。
生物学上の性別で言っているのではなく、男女問わず、個性によって、
闘争心の強い人も そうでない人も いるのではないかということ。
AKB48の人たちは、どうなのか分からないですが、
私自身の感性で想像するなら、順位が上がることは、
他の人に勝ったから嬉しいのではなく、
自分の頑張りが認められたことと、
自分がよりいっそう輝けるためのシートを手に入れたことが、
いちばん嬉しいのでは?
闘争心の強い人には、学びの場に競争を取り入れることは有効だと思いますが、
あからさまに競争したくない人には、かえって、意欲を失くさせることになると思います。
私は、たとえば職場の仕事で、良くも悪くも、評価されるのはいやです。
人と比べるだけのような、相対評価になりがちだからかも知れません。
自分で、人と比べることはしますが、それは、比べて優越感や劣等感を持つためではなく、
自分が良く出来れば、少しでも自信が持てるから嬉しいのだし、
人のほうが出来が良ければ、自分のやり方を改善しようと思うから前進できる。
自分で分かっていればいいこと。
相対評価的な評価は、意味がないと思います。
自分では気付かない自分の面や、他の人の優れた面を、
適切に知らしめることは指導者の力量。
掲示板とメルマガを通して、そのように感じています。