天才とは何か
<天才とは何か>
今回の掲示板では、前回の掲示板No.23でterurunさんが話題にしてくれた「天才」について考えてほしいと思います。
最近、僕が大学入試の問題点についてツイートしたら、進学校のなかにも「模試が何点だった」とか、「偏差値がいくつだった」とか、そういうくだらないことを自慢しあうような人たちがいて、それに辟易していますというリプライを返してくれた人がいたんです。
「天才」というのは、試験の点数といった「量」的なモノサシでは測れない存在だと思います。「量」的なモノサシを超越していて、「質」的な飛躍がある。それが天才だと思うんです。日本の社会の不幸の一つは、「天才」という概念が成熟していないことじゃないかなとも思います。
時には偏っていますし、試験の成績が必ずしも良くなかったりもする。だけど今までの人類が見たこともないような風景を見せてくれる。天才というのは、そんな存在だと思います。
みなさんは天才をどういう存在だとお考えですか。それから、天才を育む環境や、天才の邪魔をしない社会というのは、どういうものだと思いますか。現在の日本の大学は天才を育むのに適した場ではないと僕は感じていますが、では具体的にはどういう改革が考えられるのか。僕は小学生の頃にアインシュタインの伝記を読んで、「世の中でアインシュタインが一番偉い人だ」と思い、物理学者を志したのですが、みなさんにとって目標となる「天才」とはどういう人でしょうか。
天才を大事にするということは、結局、「個性」「偏り」「変人」を大事にするということだとも言えるのではないでしょうか。そうしたことに対する考え方についても、議論をしていただけたらと思います。
「天才」というのは、文明を一歩前に進め、世の中に変化をもたらすことができる人だと思います。
そして「天才」には、今まで誰もやっていないことを見つける能力と、結果を求めて猛烈な努力をする精神が備わっていると思います。
一例を挙げると、FaceBook創設者の1人であるマーク・ザッカーバーグ。彼はFaceBookをすさまじい努力でプログラミングをして、世に送り出しました。そして、現に世界中の多くの人が、利用し、世の中に変化をもたらしています。
しかし、ときに「天才」たちは邪魔者扱いにされます。なぜならば、世の中の人が「変化」を嫌うからです。嫌うというよりかは、「変化」は我々に悪い結果しか生み出さないと、思考する前に情動が反応してしまうからであると言った方がいいかもしれません。人の良いところは見つけるのが難しいけど、悪い部分は簡単に見つけることができるのと同じような感じでしょうか。
そして、我々は既成概念でがんじがらめになっており、「天才」が生み出す変化に、寛容さがなくなってしまっているからであると思います。
したがって、「天才」が育つ環境というのは、我々が既成概念にとらわれずに、「あっ、こういうことも考えられるのか。」と、受け入れられる
知識と思考、判断能力、そして寛容さが必要であると思います。もし、本当に「天才」が生み出したものが、悪い方向にいってしまうのであれば、それを止めたり、修正したりすることができるだけの思考能力が必要となります。
ちなみに、個人的に私の中での「天才」は、ドラゴンボールの作者である鳥山明です(笑)。
ドラゴンボールというマンガの発想力と、作品を世に出す努力、そして多くの子供たちが勇気をもらい社会に変化をもたらした功績を見れば、彼を「天才」と呼んでいいでしょう。鳥山氏を邪魔者扱いした人がいたのかはわかりませんが(笑)。
簡潔ですが、とりあえず投稿します。
竹内健太