天才とは何か
<天才とは何か>
今回の掲示板では、前回の掲示板No.23でterurunさんが話題にしてくれた「天才」について考えてほしいと思います。
最近、僕が大学入試の問題点についてツイートしたら、進学校のなかにも「模試が何点だった」とか、「偏差値がいくつだった」とか、そういうくだらないことを自慢しあうような人たちがいて、それに辟易していますというリプライを返してくれた人がいたんです。
「天才」というのは、試験の点数といった「量」的なモノサシでは測れない存在だと思います。「量」的なモノサシを超越していて、「質」的な飛躍がある。それが天才だと思うんです。日本の社会の不幸の一つは、「天才」という概念が成熟していないことじゃないかなとも思います。
時には偏っていますし、試験の成績が必ずしも良くなかったりもする。だけど今までの人類が見たこともないような風景を見せてくれる。天才というのは、そんな存在だと思います。
みなさんは天才をどういう存在だとお考えですか。それから、天才を育む環境や、天才の邪魔をしない社会というのは、どういうものだと思いますか。現在の日本の大学は天才を育むのに適した場ではないと僕は感じていますが、では具体的にはどういう改革が考えられるのか。僕は小学生の頃にアインシュタインの伝記を読んで、「世の中でアインシュタインが一番偉い人だ」と思い、物理学者を志したのですが、みなさんにとって目標となる「天才」とはどういう人でしょうか。
天才を大事にするということは、結局、「個性」「偏り」「変人」を大事にするということだとも言えるのではないでしょうか。そうしたことに対する考え方についても、議論をしていただけたらと思います。
初めまして。
青森県に住んでおります。二児の母です。
「天才とは何か?」という言葉に反応された皆さんの
答えを読むにつれて、「天才とは何か」を考えることが
日本の未来を面白くしていくんだなあと
感じました。
教育とは、型にはめることだと思います。
江川達也さんの漫画「東京大学物語 34巻
」での1シーンなのですが、
主人公の村上君と、その彼女の遥ちゃんに子供ができたときに
やりとりされる会話の中に
現代の天才を殺す教育の問題がギュギュッと表現されています。
遥ちゃん
「どんな子どもだって、生まれた時には天才児なのよ。
でも教育熱心な親が秀才児に育てようとして、
その時代の狭いカタに子供をはめて、
才能をどんどん削って、
最後はつまんない何もできない人にしちゃうんじゃない?」
中略
村上君「じゃあ、親や先生は何をしてあげられるんだ、この子に・・・」
遥ちゃん「何かしてあげようなんて、ひどいこと思わないこと。」
村上君「え?」
遥ちゃん「自分が何をしたいって一番わかっているのは自分!!」
(大幅に中略)
いいのよ。それでいいのよ。
やりたいようにやればいいのよ。
あなたも、この子も、」
・・・・・と、ここからがすばらしいところなのですが、
この先は本を買っていただくことにして。
今現在、上が6歳で下が2歳の子供を育てていて思うことは、
二人ともやばいぐらい天才だということです。
上の長男は、生まれて初めて4コマ漫画を先週描いたのですが、
なんと、主人公が蟻(アリ)なのです。
アリの載っている自動車が
「アリンコジドーシャ」というらしく、
そのアリンコジドーシャがうんこに突っ込んだり、
アリンコジドーシャからアリが降りてきて、
「あるくしかない」と言ったり。
どうしてそんな不思議な世界が出てくるの? と、
驚かざるを得ないほどの世界観を見せてくれるのです。
(言い過ぎですけど)
育児中のこのような毎日を送るにつけ、
茂木さんのおっしゃる「偶有性の海」という言葉を思い出します。
これから起こることの50パーセントは決まっているが
残りの50パーセントは決まっていない
偶有性の海のような毎日を泳いでいるような気持ちになるんです。
多分、このまま子供を放っておけば、
子供は天才に育つと思います。
学校教育で歪められそうになったら、
学校をやめさせればいいんですし。
フリースクールという手もあるので
わざわざ日本の頭の固い人が作った「学校」という
システムに子供を組み込まなくてもいいし、
そういうシステムでも、「それはそういうシステムだから
生きたいように生きなさい」ときつく言って、
気にしない子供を育てるのも手だなあと思うのです。
今の世の中にはインターネットという
大学ような設備も備わっているわけですし。
そこでは様々な考え方が提示されているわけですから。
選択肢の広さというものが
天才を生む土台を作るのではないかと
思ってます(^-^)
二児の母