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組織と個人のあるべき関係とは?

<組織と個人のあるべき関係とは、どのようなものでしょうか?>

「組織の一人」として働くことと、「一人の人間」として働くことの間に
葛藤がある人は多いと思います。今、原発の復旧作業にあたっている東京
電力の社員もそうでしょう。このことは、正社員と非正規社員の問題にも、
就職活動の問題にも、つながるように思います。組織はどうしても必要な
もので、組織のない社会など考えられません。でも一方で、組織が個人の
自由を奪ってしまうことは事実ですし、日本ではとくにそれが目立ってい
ます。これを機に、組織と個人のあるべき関係について、もう一度考え直
してみませんか?

NO.7   trasque 2011/04/06 18:33:16 合計 0pt.

私は常日頃から「公私混同を極めていく場」として捉えております。

組織と個人の関係は、二にして二に不ず、だと思います。基本的な考え方だとは思いますが、まず抑えるべき点でございましょう。
社会における代表的な組織「会社」ひとつを見てみる、また自分が働く現場そのものを見て考えてみますと、その現場は結局「常に自分の集大成を発揮し続ける場」であるなと感じます。丁度、お芝居の本番のような感じでしょうか。しかしそれだけではないはずです。
現場は能力を発揮し仕事をこなす場であると共に「学び」が所狭しとちりばめられた場でもあるはずです。丁度、大学のように。何を学べるのかはまさに本人次第。仕事の業務、人との対話、生活への活用、哲学の実践……こう列挙した時、組織は個人にとって「総合的(人生的)な大学」であると言えはしないでしょうか。

公私混同という言葉があります。この言葉にネガティブイメージを持つ人は多いと思います。「私的な利益を確保する為」に「公的な権利を濫用する事」という意味ですから、ネガティブイメージで正解なのでしょう。
しかし、本来この言葉が持つ意味を超えて公私混同という言葉だけが一人歩きをしているようにも私には感じられるのです。
「濫用」だけではなく「仕事に私情を挟みこまない」という部分にもこの言葉を適用する事で、拡大解釈としてしまう。そんな「日本人的真面目さ」が反映されてしまった上でのネガティブイメージなのだと思っています。

組織は「総合、人生の大学であり、発表の場」であるならば、公私混同を突き詰めていく事についてこそが「個人」の持ちうる「組織」に対する立派な権利であるとは言えないでしょうか?
朝起きてから仕事に行くまでの準備の中で一体何を考え、見て、学んだのか?
休日を捧げた文化や友好が、自分を毎日どんな人間へと構築していくのか?
仕事の現場において、まさに「いざ、仕事せん!」とする時、
そこにいるのはそれらを総合した一個の人間に違いありません。
もちろん、濫用をせよと言うわけではございません。

普段の生活は組織の「指針」に沿っているのか。普段の仕事は個人の「生活力」が活かされているのか。
やはり私は、組織は「総合的な大学、表現の場」であり、個人は「全人的に勝負しようとするもの」だと考えます。
その為に、組織において「公私混同たるべき」と主張したい次第です。