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天才とは何か

◆第七回のお題◆
<天才とは何か>

今回の掲示板では、前回の掲示板No.23でterurunさんが話題にしてくれた「天才」について考えてほしいと思います。

最近、僕が大学入試の問題点についてツイートしたら、進学校のなかにも「模試が何点だった」とか、「偏差値がいくつだった」とか、そういうくだらないことを自慢しあうような人たちがいて、それに辟易していますというリプライを返してくれた人がいたんです。

「天才」というのは、試験の点数といった「量」的なモノサシでは測れない存在だと思います。「量」的なモノサシを超越していて、「質」的な飛躍がある。それが天才だと思うんです。日本の社会の不幸の一つは、「天才」という概念が成熟していないことじゃないかなとも思います。

時には偏っていますし、試験の成績が必ずしも良くなかったりもする。だけど今までの人類が見たこともないような風景を見せてくれる。天才というのは、そんな存在だと思います。

みなさんは天才をどういう存在だとお考えですか。それから、天才を育む環境や、天才の邪魔をしない社会というのは、どういうものだと思いますか。現在の日本の大学は天才を育むのに適した場ではないと僕は感じていますが、では具体的にはどういう改革が考えられるのか。僕は小学生の頃にアインシュタインの伝記を読んで、「世の中でアインシュタインが一番偉い人だ」と思い、物理学者を志したのですが、みなさんにとって目標となる「天才」とはどういう人でしょうか。

天才を大事にするということは、結局、「個性」「偏り」「変人」を大事にするということだとも言えるのではないでしょうか。そうしたことに対する考え方についても、議論をしていただけたらと思います。

NO.18   LAMPRIGERA 2011/07/15 19:43:23 合計 0pt.

今回の議論には、天才と凡人の対立のような構図がある一方で、trasuqueさんのように「誰もが天才となり得る(No.13)」という捉え方も出てきていますね。

僕は、yamadaswitchさん(No.12)の主張に近いところで、全ての子供は「創造的である」という意味で、本来、天才だと思います。

ただ、子供たちが天才であるのは、いわゆる行動規範のようなものが、まだ子供の精神構造にしっかり組み込まれていないからだと考えています。年齢を重ねて、行動規範が形成されるようになると、その規範に従って「型にはまる」ようになってしまい、創造性を失うのだと思います。

外部から無意識のうちに押し付けられる行動規範を一たび持つと、自由に行動する(生きる)ことが難しくなるのでしょう。

一般的には、子供が社会の中で成長していく過程では、なんらかの行動規範が形成されることは避け難く、大人になる頃にはだいたい全ての人間が創造性を失ってしまうという事は、必然的な流れであるような気がします(親の意識が高く、徹底してオルターナティブな教育を受けさせる場合は、この限りでないかもしれません)。

たぶん、技術的な卓越性ではない、「質的な飛躍」を持った天才は、外の影響力から形成された行動規範を一度解体し、自分にあったものを再構築したか、あるいは、生涯、外部からの行動規範を一切受け入れなかったのかのどちらかだと思います。
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もしこの考え方が正しいとしたら、行動規範さえ解体~再構築してしまえば、だれもが天才になれる、ということになります。

ただ、問題は、ある行動規範にとらわれている人は、自ら「自分が囚われている行動規範」を認識することが難しいということでしょう。

ここで、僕がNo.1でご紹介した9点連結問題に戻るなら、最初、大抵の人は「折れ線は点上でしか曲げられない」という制約(=規範)を持っています。そして、この制約が、意識されることなく、発想を制限しているわけです。この規範、自分が制限されている事実が意識されない限り、そこをはみ出した発想にたどり着くのは至難だと思います。

創造的な天才とは、行動規範に縛られた生き方に満足できず、別の生き方を深く探求したがゆえに、人生に異次元がある(ワクの外で曲がれる)ことを発見するに至った人間なのだと思います。

ということは、やはり凡人と天才は、本当は紙一重の違いなのではないでしょうか?また違いがあるとすれば、それは、天才となった人は、現状に満足せずに「異次元の可能性」を信じていたという、「考え方の違い」だけなのかもしれません。9点連結問題のように、言われてみれば「あっそうか…」というくらい容易な感じで、あるとき規範が消滅し、その先に創造性の地平が広がっていた。それだけのことなのかもしれません。
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ただ、「異次元に挑戦する」ということは、なんだか突拍子もないことで、大抵、だれもやってみようとしないのでしょう。例えば、先の9点連結問題が、解ける問題として出題されたのではなく、「解けない問題かもしれませんけどね…」みたいな状態で出題されていたら、どうでしょう?

現実には、天才という課題は、人生において、解けるか解けないかわからない問題として、あらゆる人に提起されていると思います。

このことと関連して、天才の役割について言及するならば、天才の役割とは、自分が異次元へ突き抜けて行くことで、「ほら、こんな生き方があるんだぞ」と、示すことだと思います。そして、それは特別な人にだけできる生き方なのではなく、あらゆる人に、各々の異次元が存在しているはずです。子供の時、みんなが創造的であったことから考えれば、当然そう言い得ると思います。

僕は、自分を凡人とみなしたり、天才とは全く違うと考えたりするスタンスには、疑問を抱くのですが、それは、だいたい以上のように考えるからです。

もし、誰かが突き抜けたとしても、ただ、「あの人は天才だから関係ないわ」という接し方をするならば、私たちは天才の価値を十分に享受していないのだと思います。

岡本太郎はかつて、「…もしオレのやり方で、岡本太郎を貫き、殺されずに、やりぬいたら、それを見てああオレもやろう、あたしも、というやつらがワアッとあらわれて幾何級数的にあふれてくるだろう。そういう日本を創りたい…」(『岡本太郎が、いる』岡本敏子)という発言をしています。しかし、別の機会には、「…いままで、ぼくはずいぶんと闘ってきたが、世の中が変わらないどころか、逆に悪くなってきている。…」とも言っています(『自分の中に毒を持て』岡本太郎)。

そのもっとも大きな原因は、ほとんどの人が自分の存在の異次元を信じなかったことにあると思います。
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話は変わりますが、昨日の茂木さんtwitterは、レディ・ガガの話題になりましたね。orcamieさんと同様、僕もガガは天才だと思います。彼女は、世間的な行動規範をぶち抜いていますが、同時に内的な規律とでも言うべきものがあって、人に接する時には、とても自然で丁寧な物腰ですね。今回のガガ公式youtubeアカウントの停止は、世界的にも大きなロスだと思います。

ガガの活動のスケールと意義を正しく捉えることができず、近視眼的な著作権保守に走ったのは愚かなことだと思います。 しかし、違反申告側にしても悪気はないんでしょうね。残念なのは、このようなことが悪気なく行われるということです。

ガガくらい突き抜けていれば致命傷にはならないでしょうが、駆け出しのナイーブな天才も、このような「悪気は無いけど浅薄な考え方」の犠牲になる可能性があります。そして、場合によっては完全に才能が葬り去られてしまうかもしれません。

前回のテーマでも書きましたが、「目利き」と「いい芽」が出会う機会を増やすことが必要です。

ガガはネット上での才能の発掘やエンカレッジメントなども、非常に丁寧にやっているようです。せっかくなので、最後にウォールストリートジャーナルジャパンのインタビューから、ガガの言葉を引いておきます。

I always say if you have a flashlight, a cell phone and a good idea, you can make a lot happen wiht the internet.

引用しといてなんですが、flashlightって字義通り懐中電灯なんでしょうか(^^;?
それとも、何かのメタファーかな?わかる方いたら教えて下さい…。