日本の教育はどうあるべきか?
グローバリズムのなか、日本の教育は危機を迎えています。英語教育はどうすべきか? 大学のあり方は?大学入試はどのようなものであるべきなのか? 文部科学省の役割は? 子どもたちが、今身につけるべき能力とは何か?個性を育む教育とは? 教科書検定は、必要なのか?
みなさんの日本の教育についてのヴィジョンを教えてください。
学歴社会の本質は、やはり、安定した生活を送りたいという欲求のもと、存在した
のではないかと考えます。
知名度の高い大学に入ることは、自分の希望としている会社に入るのに有利だと
誰もが思った時代もあった。
「知名度の高い大学」=「幸せな生活」 この法則にのっとって、みんな、努力をし
ていた。
本質的には、何も間違ってないと思う。
みんな、「幸せな生活」は、送りたいのだから。
しかし、「幸せとは何か?」っというところで、本当は、疑問が沸く。
お金も欲しいのは、本音。
だから、一流企業に入るのだって、欲求として出てくるのは、当然とも言える。
お金だって、無くては、幸せじゃないと私は、考える。
学問は、自分を豊かにする一つの道具にすぎないと思う。
算数を知っているから、298円の品物を買うときに、300円で買えるという感覚を持つ。
国語だって、看板に「工事中につき、道路の通り抜け出来ません」と書いてあるのを
読めれば、通らずにすむ。
生活を快適に過ごすためにも、もちろん、知識は必要となる。
話を飛躍すれば、では、専門的な知識は、必要か?という問題になる。
弁護士や医者等、専門的知識がなくては、なれない職業もあるのだから、その
仕事に、より、近づけるように、大学はあるとも考えられる。
小学校、中学校、高校は、生活のための学問を学ぶところで、大学は、専門的な知識を
学び、その知識を仕事に結びつけるところ。と思っていた。
しかし、専門的な知識はいらない、必要の無い人には、大学は、無意味と思う。
大学は、「もっと詳しく学びたい」人が行くところと思っていた。
しかし、有名な会社に就職するために大学に入る人もたくさんいることに驚いた。。。
あと、「大卒」というラベル(?)のため。。。
でも、それ全て漠然とした「幸せな生活」という・・・何かそういう(笑)感覚のもと、
行動しているのだと思う。
それ自体は、何も間違っていないと思う。
ただ、知識を得ても、幸せになれるとは限らない。
しかし、学問を通じて、今の子供達に伝えたいと思うことは、
「学問によって、純粋さを持たせる」ということです。
純粋さというのは、本当に素晴らしいと思っています。
純粋な心を持つことは、創造性や闘争心、向上心や好奇心・・・そういうものが何よりも
起きると思っています。
日本の教育も、もっと、「感性」というものを育てる教育に変えていかなくてはいけないの
ではないでしょうか?
小さな発見、小さな喜びを感じられる感性は、より幸福度も増すように思います。
過激な映像、過激な言動、過激な行動。。。刺激は、強いですが、何も感性は育たない。
親に無理やりやらされている受け身の学問、社会的圧力による学問・・・それは、本当に
本人が一番苦しいでしょう。。。
どんな学問もきっと、最初は、小さな感動、発見、喜びのためにあったのではないでしょうか。
子供達にもそういう「喜びの学問」を学ばせてあげたいなっていつも思います。
結局、人は、「感動」のために生きたいのだと思いますから。
それが、お金に結びつけることが出来れば、なお、最高なのですが(笑)!
そこですね!いつも、問題なのは。。。(笑)