組織と個人のあるべき関係とは?
「組織の一人」として働くことと、「一人の人間」として働くことの間に
葛藤がある人は多いと思います。今、原発の復旧作業にあたっている東京
電力の社員もそうでしょう。このことは、正社員と非正規社員の問題にも、
就職活動の問題にも、つながるように思います。組織はどうしても必要な
もので、組織のない社会など考えられません。でも一方で、組織が個人の
自由を奪ってしまうことは事実ですし、日本ではとくにそれが目立ってい
ます。これを機に、組織と個人のあるべき関係について、もう一度考え直
してみませんか?
こんばんは。担当編集です。
システムや問題設定、告知にいたるまで、至らないところが多々ありまして、申し訳ございません。
全速力での改善を目指しますので、
今後とも何卒よろしくお願いします!
ちょっと私も議論に参加させてくださいね。
個人と組織を関係性から捉えるというのは、すごく重要なことだと思います。
ただ、その関係性は必ずしもフラットなものではありませんよね。
個人が組織を支えている場合もあるかもしれないし、
組織に個人が守られている場合もあるかもしれない。
うまくそれが混ざっている場合もあるかもしれないし、
若い時は支えてもらって、一人前になったら支える側に回っているかもしれない。
それで、
この関係性が「フラット」、あるいは「自分からの持ち出し」が多くなるように、
努力している人は良いのですが、
そういう努力をするのは負荷がかかることですよね。
もし組織の体力に余裕があれば、
「寄りかかる」方が楽チンです。
それでどうも今は、
「寄りかかれる組織を探すイス取り合戦」をしている人が多いのではないか、
というのが、
茂木さんの問題意識のような気がします。
(違うかもしれません)
僕は、
組織の側も個人の側も、
「自分の持ち出し」が大きくなるように努力していると、
お互いすごくうまく回ると、
直感的に感じています。
会社と社員で言えば、
会社は
「まあ、この社員は今はあまり稼げないけど、芽が出るまで支えよう」と思い、
社員は
「自分は給料の何倍も稼いでいるけれども、こういう仕事ができるようになったのは、
この会社のおかげだし、後進のためにももっと頑張ろう」
と思っているような場合は、
会社の業績も
個人のスキルも
うなぎ昇りになることと思います。
しかし、
こういう関係になるための最初の一歩がどこにあるのか、
とんと分かりません。
組織や個人は、
どういう言葉が投げかけられればそうなるのか、
どういう状況に置かれればそうなるのか。
みなさんはどう思われますか?