あなたにとっての「古典」とは何ですか?
最近、僕は「日本は変わらなくちゃ」「英語を使ってグローバリズムに適応しないと!」といったことをずっと言い続けてきました。それで「変わらなくちゃ」というメッセージが強くなり過ぎてしまい、「変わるものだけが生き延びる」という一種の強迫観念として受け取ってしまった人もいたかと思います。
この辺りで、ちょっと一度立ち止まって、時間が経っても変わらない古典的なものとは何なのか、考えて直してみるのも必要なことのように感じました。激動の時代だからこそ、「変らなくちゃ」だけではなくて、「変らないもの」の価値も見直したい。
あなたにとっての「古典」とは何ですか? あなたにとって時間が経っても変わらない価値とは何でしょうか? 本でもいいですし、映画でもいいですし、大切な友人でもいい。みなさん、自分の「古典」を持ち寄って語り合ってみましょう!
古典に接することで「不変のものに気が付くという変化」を手に入れられるのだと思います。
古典への評価としては「変わらないもの」や「人間の本質」などが鋭く描かれている、といったものがあります。
しかし、そういった有名な古典作品は「時代や背景」を色濃く反映しているものが少なくありません。
折角夜間飛行のメルマガですので、サン・テグジュペリのそれを見てみますと、物語の舞台はまだまだ飛行が命掛けの時代で、業務に対して徹底的な社長が登場します。
サン・テグジュペリ本人も実際に飛行機乗りであって、彼の体験が大きく反映されているのがわかります。
それでも夜間飛行の中には、私達が現代においてさえハッとさせられる下りが数多く存在しています。
私達は時代も社会も思想も状況も全く異なる世界の住人が住む古典の中にさえ、変わらないものを見出せる力を持っていると思います。
むしろ、全く異なる舞台だからこそ「変わらないもの」が浮かんでくるのかもしれません。
私は本を読むようになったのが今年からと情けない状態なのですが、古典から「時代遅れ」という印象は全く受けませんでした。
自分がこれまで生きてきた中で少なからず掴もうとしつつある「人間として大切な事」に合致する一文が、古典の中に突然現れた時、私にとっては今を生きるための最前線の新しい思想であり、軸と言えるものだと感動する訳です。
これは「不変のものを確信する事」という、人間一人の中にある精神的な革命と言えるのではないでしょうか?
最近になって古典を割と読めるようになったのは、生きてきた中で気付いた「本質」のようなものが蓄積されてきたからだと思っています。
小さい頃は書かれている字面しかわかりませんでした。だから古典は難しいし、何かを得られた気分にはなれなかったのです。
名言や格言なども含めて、そういったものが自分の身に入って行く事で、作品が伝えんとする「文の奥」のようなものが見えるようになったのだと思います。
古典を読んだから本質に気付いたのか、本質に気付いたから古典を読めるようになったのか…
どちらが先という話ではないように思いますが…
私達は現に社会を走り抜けていて、色々と逡巡していきます。その中にはあまり本質的でない事につまづくのも多い訳で、そうした時に古典と接する事で「確認」できるのだと思います。
ですから、私にとって古典は「勇気」になり得るものです。生きる指標になるものです。
まだまだ未熟な中にあって「貫くべきもの」が、なんとなく見えるからなのだろうと考えています。