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あなたにとっての「古典」とは何ですか?

先日、『隅田川』という能を観て林望さんとお話しする機会がありました。この『隅田川』は室町時代に作られた作品ですが、いまだに多くの人を惹きつけています。また林望さんは『源氏物語』の現代語訳もしているのですが、その『源氏物語』は千年以上読み継がれている。

最近、僕は「日本は変わらなくちゃ」「英語を使ってグローバリズムに適応しないと!」といったことをずっと言い続けてきました。それで「変わらなくちゃ」というメッセージが強くなり過ぎてしまい、「変わるものだけが生き延びる」という一種の強迫観念として受け取ってしまった人もいたかと思います。

この辺りで、ちょっと一度立ち止まって、時間が経っても変わらない古典的なものとは何なのか、考えて直してみるのも必要なことのように感じました。激動の時代だからこそ、「変らなくちゃ」だけではなくて、「変らないもの」の価値も見直したい。

あなたにとっての「古典」とは何ですか? あなたにとって時間が経っても変わらない価値とは何でしょうか? 本でもいいですし、映画でもいいですし、大切な友人でもいい。みなさん、自分の「古典」を持ち寄って語り合ってみましょう!

NO.6   orcamie 2011/08/22 19:50:22 合計 0pt.

わたしにとっての古典

私にとっての個人的な古典は「ジェーン・エア」と「あしながおじさん」だ。「あしながおじさん」のジェーンが大学に行って読みまくる本が私の読書への突破口を開いてくれたから。中学生の頃児童文学は読むことができても 芥川龍之介や太宰治等を始めとする大人の文学の面白さがわからず長編が読めなくて少ししょげていた。それが「あしながおじさん」のジェーンが読んで一言足長おじさん宛の手紙に書いてある感想につられて「嵐が丘」を読んだ。エミリー・ブロンテの父親が牧師で彼女は牧師館と寄宿学校の外には1歩も出ないような生活からいかに「嵐が丘」を生み出したか見当もつかないというのがジェーンの感想だ。読んだ後わたしはジェーンの疑問に答えられなかったが 嵐が丘の物語もさっぱり訳がわからなかった。が読書の面白さをそこで味わったのだと思う。嵐が丘の主題である「愛憎」ということがその時の私の想像を越えることだったし、当時の女性の置かれている状況について無知であったこともある。後でアメリカ人の先生の英会話教室でその「嵐が丘」を読みなさいということで苦労して英語で読むことになった。その先生から当時の女性が家父長制度下で暮らしており当時は参政権はもちろん無いし、財産すら持てなかった。女性がその頃自活するというのは並大抵ではなかったはず。又彼女が暮らした地域は辺り一面きっとヒースの丘が見られ荒野であったことも寂しい荒涼としたイメージを思わせる。エミリー・ブロンテはたった一つの小説「嵐が丘」を書いて30才で亡くなってしまう。その他に遺された彼女の作品は詩で「No Coward Soul is Mine」。19世紀の前半に 裕福でもなく恵まれない環境の中でただ知的探求に喜びを見つけ誇り高く生きた女性が存在したということは私を勇気づける。

わたしにとっての「古典」は読書への道を切り開いた存在であり 人生で私を何度でも勇気づけてくれる存在。まだ「あしながおじさん」に出てくる本を全部読破したわけではない。ベンヴェヌート・チェリーニという人の自伝で 『ぶらっと散歩に出てちょっと人殺し』をしたという。以前はどこのだれだかわからなかったのがネットのおかげでルネサンス期イタリアの画家であり彫刻家であり音楽家でもある芸術家の奔放な「自伝」と判明。読書自体、未知の世界の扉を開けること。それが古典であってもなくても。でもきっと「古典」は褪せること無くほぼ永遠の輝きがあるんだろう。