「結婚」について考えてみよう!
でも今はそういったものはほとんどなくなってしまいました。また、ライフスタイルも非常に多様化していて、結婚をして子供を作るということが唯一の「幸せの方程式」ではなくなりました。ヨーロッパではすでに結婚をしない形での男女の結び付き、あるいは同性同士での結び付きも当たり前になってきています。
一方で、「婚活」という言葉にも代表されるように、日本人はいまだに結婚にこだわる側面も残っている。それなのに、男性にしても、女性にしても、適当な相手がいない、どうしたら出会えるか分からない。そんな悩みをよく聞きます。もしかしたら、こうした結婚に対する保守的な考え方が、日本人を不自由にさせているのかもしれません。
みなさんはこれからの結婚のあり方、あるいは結婚という形にこだわらない男女の結び付きのあり方について、どのようにお考えですか? 教えてください。
初めて投稿します。
今、私は法的には「既婚者」であり、夫がおりますが、
実は若い頃から結婚に興味が無くて、ずーっと独身でした。
それよりも人生を賭けて、夢中になって取り組みたい仕事があったので…。
結婚する事をまったく考えずに、40歳を過ぎました。
結婚はひとごとでした。
というのも、私は物心ついた時には既に両親は亡くなっており、
後見人はおりましたが父母のいるいわゆる「家庭」の中で育っていません。
その上生まれつきの心臓疾患があり、大人になるまで生きられないだろうと言われていました。
周りの大人が何を言っても、私は生きたかったのでその見込みを信じず、自分のやり方で子供の頃から「生き延びて大人になり、好きな事をして生きる」事だけ考えてきました。
幸い、周囲の人々や運に恵まれ、淋しい心細い思いもせず、愛されて育ち幸せな子供時代を送りました。
父母はいなかったけれども、私にとってはそれは普通の事で、友達をうらやんだ記憶はまったくありません。
そんな生い立ちなので、家庭という概念が他の人とは違っているんじゃないかなと思います。
私にとってもし「家庭」というものがあるとしたら、それは友達というコミュニティであったり職場でのチームメイトなんだと思います。
それでなんの不足もありません。
だから、結婚という選択肢を自分の人生設計に組み込む事がピンと来ないのではと思っています。
しかし、とある事情で数年前に結婚しました。
私と同じような理由で結婚を考えてこなかった旧友と話し合って、婚姻届を出しました。
その事情とは、生命保険の「保険金代理請求」は配偶者でなければできないという現実があるからです。
40代になると、この保険金を使う事になる事態に陥る可能性が高くなると判断して、もしもの時にお互い助け合おうという事で…。
高校時代からの親友なので、身寄りのない私にはこれ以上信頼の置ける適任な人物はいません。
同じく今は身寄りを持たない友人にとっても、それは同じです。
そんなわけで紙の上だけの婚姻関係なのですが、これから先の人生を生きていく上で、お互いに大きな安心を得られました。
そして、ここからは私にとっての「結婚とはなにか」という理解なのですが。
私はカトリック教徒です。
「結婚」とは教義的には「秘蹟」のひとつであり、信徒にとっては「神との契約」です。
修道者になるために「召し出し」が必須であるように、「結婚」も同じように出会いや縁が決め手になると思いますが、しいて言えば私には「結婚という神との契約」に必須な「召し出し」にあたるものがたまたまやって来なかったんだと解釈しています。
それなのに、その「結婚」という、教義では「聖なるもの」を、いとも事務的にひとつの制度としてドライに利用しているわけです(笑)
もちろん教会には内緒です。そんなに融通の利くところではないので。
とはいえ、この国の婚姻制度を利用しているだけで戒律は犯していませんから…。
教会法では私は独身です。
これからもずっと、仕事を通してどれだけ社会に貢献していけるだろうか考え実践していく上で「入院などの非常時の備え」という後ろ盾がある安心感は、私の挑戦し続ける志向にはかかせないものとなっています。
私の「結婚」は、かなり特殊な例かも知れませんが…特殊じゃなくなる時代が到来するかも知れないですね。