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「学歴」とは何だろうか

「学歴」とは何だろうか、ということについてみなさんのご意見をうかがいたいと思います。「学歴社会」が崩壊したとはいいながら、大手企業の中ではその採用において事実上の「指定校」制度をとっているところもあると聞きます。

はたして、18歳の時の入試の成績が、そんなに重要なのか。学歴は、それを持つ者にとっても、持たないものにとっても、やっかいな存在です。さまざまなコンプレックスの原因にもなる。情報ビッグバンで、多くの人が自由に情報にアクセスできる時代に、本当に「学歴」は必要なのでしょうか? みなさんのご意見をお聞かせください。

NO.1   ryosuke85 2011/09/20 13:36:55 合計 0pt.

学歴

解せないので必要ない。
それが僕の結論です。良く分からんのです。
それを必要としたことが無いというのが一番なのですが、
学歴で人を好きとか嫌いになったことが無い、という事が前提にある気がします。

確かに、僕みたいな在野の人間は東京大学だなんて大それた場所へ
行こうともしていなかったし、行きたい場所では無かったのです。
けど、悲しいかな小さいころの記憶を探ってみると、
自分の親父から『いっぱい勉強して国立大学目指せよ』みたいなことを
冗談交じりで言われていたことを思い出しました。
特に東京大学の名前は本当にすごい所なんだというプレゼンを受けていたので
年齢を重ねていく内に、それが僕の根底にずっと存在して続けていたのは
事実です。
けど、そんな親父に僕が『じゃーいく。』というと、一笑しながら『無理だよ。』
という始末。『どっちなんだよ』と小さいながらも思ったことも思い出しました。

そんな小さい僕が抱いたのは、自分の親父がどこを出ていようが僕は親父が好き
だった、という事です。もちろん、“学歴の価値”が全く持って分からない状況で
あったにしろ、小さい僕にはそんなもの何にも関係のない事でした。
何より、僕の親父は工業高校出身のそば屋で、店の自慢料理はカツ丼です。
学歴なんて何にも関係ないじゃないですか。

歴史の教科書を読み返してみると、学歴の前は家柄だったようで。
自分の生まれた家の位によって自分の人生が決まるとは無情にも程がありますね。
それを考えると学歴になっただけまだマシなのでしょうか。
けど、将来、「士農工商」みたいな形で「学歴社会」なんて載りそうですが…。

結局、人は差別が好きなのでしょうか。
人との差を作りたい。人よりも前でスタートしたい人がそういったプロセス差別を
作り上げたようにも思えます。

歌劇や舞台演劇、TVドラマで「身分の違い」に焦点をあてられて作られているものが
その無情感を訴えています。
けど、実際に触れてみたら身分だなんてどうでもいい。
それは学歴でも一緒で、学歴に関係なく、好ましい人は好ましいですよね。
大企業で、一人一人と触れている時間を“作ろうとしない”所は、それで評価する
しかないのでしょうが、僕みたいに触れることでしかその人を判断できない人間は、
学歴なんて関係ないです。
そんな事を言っていたら人と会えなくなってしまいます。

これと同じ議論って資格取得にも言えることですか?
無論、仕事をする上で必要な資格は、それが必要である以上とる必要があると
思うのですが、資格取得を必ずしも善とする向きは解せません。
これと並列で述べていいのであれば、資格はそれを取りたい人が取るもので、
僕の観点から言えば学歴もそれと一緒です。
その学校に行きたいから言葉は悪いかも知れませんが“勝手に”行っただけであって、
それで凄いとか凄くないとか
偉いとか偉くないとか
賢いとか賢くないとか
出来るとか出来ないとか
カッコいいとか悪いとか
いいやつかそうでないかとか
そんなもの関係ない。
それは学歴で規定出来るものでは無い事だし、あくまでその人の人生のプロセスの一つ。
小話程度にならいいかも知れないけど、それ以上は必要ない。

よって僕の中の結論。
解せないから必要ない。
根本的にそれが好きな人たちはずっとそれを言い続けるんでしょうし、
それは否定しません。
否定したところで、それしか他に生きてきた世界がないのですから、
理解しがたいと思うのです。
ただ、それがすべてでは無い、という事を理解して貰えるように意見していく所存です。