トップ 書籍一覧 メルマガ一覧 ご利用ガイド サロン・通信講座

「学歴」とは何だろうか

「学歴」とは何だろうか、ということについてみなさんのご意見をうかがいたいと思います。「学歴社会」が崩壊したとはいいながら、大手企業の中ではその採用において事実上の「指定校」制度をとっているところもあると聞きます。

はたして、18歳の時の入試の成績が、そんなに重要なのか。学歴は、それを持つ者にとっても、持たないものにとっても、やっかいな存在です。さまざまなコンプレックスの原因にもなる。情報ビッグバンで、多くの人が自由に情報にアクセスできる時代に、本当に「学歴」は必要なのでしょうか? みなさんのご意見をお聞かせください。

NO.5   LAMPRIGERA 2011/09/25 10:11:14 合計 0pt.

おはようございます。久々の投稿です。

先週興味深いブログ記事を知ったので、まずはその紹介をさせて頂きたいと思います。今回のテーマとも深く関連していると思います。夜間飛行規定には投稿にリンクを貼ることに関する決まりはないようでしたが(?)、不適切であれば削除して下さい。

http://moritagen.blogspot.com/2009/01/blog-post_16.html

記事自体は小山龍介さんのtwitter上の紹介で知りました。本来なら要約でも付けるべきなのでしょうが、面白い記事だったので読んでみて下さい。YouTubeの動画付きで紹介されています。
---------------

この記事は、経歴や形になった実績などのわかりやすい「指標」がないときに、人がいかに物事の真価のようなものを自分で判断できないのか、ということを浮き彫りにしていると思います。

今回のテーマで問題にしている学歴というのは、人がある人を評価するときの「指標としての学歴」のことであるように思います。

そして、学歴のような指標が、なぜ時として非常に重視されるかというと、ラベルなしに実力を判断しようとする人があまりにも少ないからだと思います。

絵画の世界もまた同じような状況があるようで、今度はこのことに関連した岡本太郎の文章を引用させて下さい(岡本太郎著『自分の中に毒を持て』より)。

「…ぼくは多くの人の鑑賞の仕方が不純に思えてならない。
 たとえば、作品の前に立って、それを直接見とどける前に、まずこれはいったい誰の作かということを気にする。有名な巨匠の作品、ゴッホでもピカソでもいい、そんな偉い人のだとわかると、とたんに「なるほど、やっぱりいいですね。さすがは」などと口先で感嘆してしまう。…
 それらの作品を自分の生きる責任において、じっと見つめてごらんなさい。直接自分の実力、精神力で、内に秘めたものをバトン・タッチすれば、決してただ結構だったり、楽しく、気持ちのよいものではないはずだ。…」

僕は、「人間をみる」ときにも同じような態度で見ることが重要なのだと思います。
---------------

学歴は、「人間をみる」際によく用いられる指標の一つです。不当なことだとは思いますが、ただ学歴主義的なことを批判するのはあまり意味があるとは思えません。

重要なのは、一人一人が人間をみる際に自分の「実力でみる」ことだと思います。実力でみるということをせずに、学歴主義を排除するだけなら、今度はそれを補填する別の指標が必要になってくるだけです。そして学歴に似た代替物(IQ+αとか?)が考案され、今度はそれが重要視されるようになるでしょう。

これとは反対に、もしある人が自分の実力でみることを実践し、その実践をとおして眼力を磨くなら、少なくともその人のなかで学歴主義は完全になくなります。誰もが自分の実際の行動・言動を介して、他人に影響を与えながら生きています。だから「実力で見る人」が社会の中に増え、影響力を増していけば、学歴主義だって自然に消滅していくかもしれません。
---------------

*現段階で深く触れることは困難ですが、「指標(ラベル)でみる」ということは、一つの計測可能な要素を過大に評価しているということだと思います。それに対して、「実力でみる」という見方は、もっと包括的に色んな要素を同時に見ようとする見方であるように思えます。なぜそう言えそうなのか上手く説明できませんが…。