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組織と個人のあるべき関係とは?

<組織と個人のあるべき関係とは、どのようなものでしょうか?>

「組織の一人」として働くことと、「一人の人間」として働くことの間に
葛藤がある人は多いと思います。今、原発の復旧作業にあたっている東京
電力の社員もそうでしょう。このことは、正社員と非正規社員の問題にも、
就職活動の問題にも、つながるように思います。組織はどうしても必要な
もので、組織のない社会など考えられません。でも一方で、組織が個人の
自由を奪ってしまうことは事実ですし、日本ではとくにそれが目立ってい
ます。これを機に、組織と個人のあるべき関係について、もう一度考え直
してみませんか?

NO.15   YOtomo 2011/04/07 13:24:53 合計 0pt.

 「組織」と「個人」のあるべき関係を考える上では、茂木先生が、今回のメルマガの中でご指摘されているような、「生きる」という視点(意識)が、大変重要だと考えております。
 「組織」は、『ある「目的」を達成するために、「分業機能」を保持した、「個人」の「集団」』である、とすれば、ここでは、「組織」と「個人」の関係を規定する「目的」と「分業機能」の内容について、よくよく検討してみる必要があるでしょう。(「集団」が、ただの「個人」の集まりという意味しかもたないのであれば、「集団」と「個人」との関係については、それほど論考を必要としないと思いますので、ここでは割愛します。)
 こういった点から、「組織」と「個人」のあるべき関係について、現時点での私なりの考えを申し上げます。

・「組織」と「個人」は「生きた」関係であるべきである。
・すなわち、「組織」の「目的」は、「個人」が「生きる」ということであり、
「組織」の保持する「分業機能」は「個人」を「生かす」ものでなければならない。

 「組織」に属する「個人」は、時に葛藤を抱きます。その原因は、「個人」(ひいては「集団」)の意識の中で作り上げられていく「目的」や「分業機能」には、そのような客観的に意識されることだけでなく、無意識の感覚を含んだ「生きる」という主観的な視点(意識)が、決定的に欠如しているからだと、私は考えます。

 たとえば、売上げの不振を脱却するため、上司に「とにかく売りさばけ。このままじゃ、君は首だ!」と脅され、奥さんと幼い娘の写真を胸に秘めて、取引先に頭を下げて回る方もいるでしょう。
 そのようなことが、「個人」として心底(意識・無意識に)受容できるのであれば、きっと葛藤は生じることはないでしょう。しかし、時には、どこか違う、という感覚とともに、葛藤に苛まれることがあると思います。上司に怒りを覚えながら、こんな会社は辞めてやる・・・と思いながらも、辞められないといったような。

 下記、「目的」と「分業機能」について、一般的に観察される事例を、思いつくままに挙げてみます。

(1)「目的」

 顧客満足度向上、株主利益最大化、企業価値向上、生活水準向上、経済成長、安全確保、秩序維持、平和維持、国際的評価向上、人材育成、格差是正、勝利・・・

(2)「分業機能」

 体制(業務内容、指揮命令系統、職制など)、規則(法令、規制、社内規則、上司命令など)、制度(成績評価、報酬体系など)・・・

 こういった事例について、私「個人」の「生きる」という実感に照らし合わせて、たとえば下記のように問い続けることは、大変意義深いものであると感じます。

・株主のために仕事をすることが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・上司の顔色をうかがい、自らの主張を控えることが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・他者を蹴落とし、出世することが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・部下を脅しながら仕事をさせることが、本当に「個人」を「生かす」ことなのか?
・結果的に規則を破らざるを得なかった人間に懲罰を与えることが、本当に「個人」を「生かす」ことなのか?

などなど。

 さて、最後に、そもそも「生きる」とは?

 これについては、茂木先生のメルマガ、皆様との自由闊達な議論、そして、日常生活の中で私「個人」が内省しながら感じとられていくものかと、期待しております。きっと、そこには生命哲学、脳神経科学、・・・もろもろの知見もフンダンに織り込まれていくことでしょう!!(勝手に妄想しております、そして、投げやりでスミマセン)

 茂木先生および、「夜間飛行」のスタッフの方々に、このような場をいただきましたこと、深く感謝いたします。今後ともご指導の程宜しくお願い申し上げます。

 いろいろと楽しみにしております。