「学歴」とは何だろうか
はたして、18歳の時の入試の成績が、そんなに重要なのか。学歴は、それを持つ者にとっても、持たないものにとっても、やっかいな存在です。さまざまなコンプレックスの原因にもなる。情報ビッグバンで、多くの人が自由に情報にアクセスできる時代に、本当に「学歴」は必要なのでしょうか? みなさんのご意見をお聞かせください。
権威主義は人間だれもが大好きなものじゃないでしょうか?昔の人もありがたやありがたやと権威のあるものにあやかるために奔走したんじゃないですか?それを否定するのに意味があるんでしょうか。
やはり価値があるものはみな認めているわけで(認めているから価値があるわけで)、まだ社会から認められていないものから価値を見出すことには大きな創造力が必要だと思いますが、価値があるとされているものにあやかりたいと思うのは人類普遍の特徴だと思うのです。宗教なんて権威主義の最たるものじゃないですか?ですから大学であれば日本なら東京大学であるし、企業であれば社会に影響力をもっている大企業となるであろうし、職業そのものであれば人の寿命に関わる医者が偉くなるわけじゃないですか。
既存の価値をを否定したとしても、すぐに新たに価値を見出すことが必要とされて、新たな権威主義が顕れてくるに過ぎないわけです。権威を排除して全てフラットにした途端、新たな権威が必要とされるわけですよ。
東京大学の建屋がほったて小屋で良いわけがありません。権威を付加されているわけですから、壮大な建築物になるわけで、寺院だってそうじゃないですか。寺院がほったて小屋で、誰がお参りに来るんでしょうか?やはり権威のある物を人はあがめ、支えにして生きるんですよ。
逆にいえば、権威を付加されている対象は、それだけの期待や責任を負わなければならない。権威と責任は表裏一体の物です。人からあがめられるには、その期待にこたえねばならぬという義務が常に存在しているわけです。そういう意味で悪いものじゃないですよ。権威というのは。
採用が出身大学で決まるのは、悪い事じゃないと思います。例えば東京大学の学生は、それだけ期待されているわけで、それに応えなければならない。これはしんどいことですよ。
少なくとも大学生が企業に就職するのは学校の延長なわけじゃないですか。今の日本は少なくともそうですよね。誰もが学校を卒業し社会での何の業績もない無垢な状態で就職しますよね。ある意味、学生時代の成果として学歴があるんじゃないですか?それでしか評価しようがないじゃないですか?学歴以外でどうやって学生を評価できるんですか?たとえば、無名大学であっても、数学オリンピックで優勝したとか、こういう学会で賞をもらったとか、地域社会を変えるようなこんなイノベーションをしたとか、そういう業績があれば評価されるべきでしょう。しかしそういうものがない大多数の学校で教育を受けてきただけの学生であれば学歴自体がその学生の業績になるんじゃないですか?そうでしょう?
茂木さんが学歴に異を発することに僕は納得がいかない。茂木さんの著書には必ず著者紹介欄に東京大学理学部、法学部卒、東京大学大学院博士課程修了と書かれているじゃないですか。この経歴がどれだけ茂木さんの本の売れ行きを左右していることか。どれだけ茂木さんの発言の説得力を保障しているか。茂木さんはご存じのはずです。学歴を否定することは、茂木さんが社会に認められている理由を否定することになる。つまり学歴は茂木さんの弁慶の泣き所なわけです。それが気に食わないから茂木さんがしきりに学歴社会を否定するのは目に見えています。自分を不自由にする要素はできる限り消してしまいたいと思うのは理解できます。けれど、学歴権威主義を茂木さんが否定するというのは、あまりにも欺瞞を含んでいると思うのです。