「学歴」とは何だろうか
はたして、18歳の時の入試の成績が、そんなに重要なのか。学歴は、それを持つ者にとっても、持たないものにとっても、やっかいな存在です。さまざまなコンプレックスの原因にもなる。情報ビッグバンで、多くの人が自由に情報にアクセスできる時代に、本当に「学歴」は必要なのでしょうか? みなさんのご意見をお聞かせください。
>No.8 mayugeさん
権威主義というのは、そもそも過去から現在における人間が作り出したものであり、
それを否定する事には何の生産性もない。それは人がそうしたいと望んできたから、
という事で宜しいでしょうか。
そもそも人の評価というのは何処で誰が決めるものでしょうか。
これはmayugeさんの意見を拝見して僕が勝手に考えたことなのですが、
我々は評価の仕方が下手なのかな、と思います。
評価のされ方が下手とも言えると思うのですが。
結局、今まで「学校歴」でしか評価して来なかったから、
“履歴書”の“学歴欄”がここまで尊重されてきてしまったのかな、と。
人の評価をするのに、まずそこありきになっている事は、僕は問題だと思うのです。
それは僕の個人的な僻みに通ずると言われればそうかも知れません。
じゃあ、僕が何で茂木さんのメルマガを読むに至るまで茂木さんを評価しているのか。
という点をmayugeさんの投稿を拝見してから考えてみたのですが、
僕、茂木さんの書籍に書いてある経歴を見たのは、今年に入ってからです。
それもどうかと思うのですが、基本的に僕は著書の経歴欄は見ません。
僕の中では“どうでもいい事”になってしまっているのです。
ただ、自分の出来ていない事をしている人は純粋に尊敬しますし、
僕の人生には無いものを経験されているのですから、非常に尊い存在です。
そもそも、茂木さんの存在を知ったのは、
NHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀~」の司会者をされていたのを見たから
なんですが、その時に多くのプロフェッショナルに対する質問をしている姿を
見て、“何となく”惹きつけられて、フラッと本屋に並んでいる書籍を手にとって
読み始めたのがきっかけです。
その時から今年に入るまで僕は茂木さんが今までどんな経歴をしてきたのかについて
特に興味もなく、書籍を読んでいました。
今年に入って「そう言えば」的な感覚で見てみたら…
という流れなのですが、僕は茂木さんを“何となく高く評価”していました。
著名人だから、とか
(TVで発言されることのメインとして)脳科学的には…という発言が、とか
そんな理由では無くて、自分の人生において何かを与えてくれたという
感覚を得たから高く評価させていただくに至りました。
これは完全に僕の感覚です。
それ以上でもそれ以下でも無く、僕が茂木さんに間接的に触れた中で、
自分にとって“必要”だと思え、結局、評価というのは人をどう見るか、
その人がしている事がどういう作用を及ぼすのかを判断する事なのだと思うのです。
急転直下で茂木さんへの気持ちが冷めてしまう事もあるとは思うのですが、
少なくとも現在、僕は茂木さんの闘う姿勢であったり、物事の見え方が
僕の過去の人生には無かったものなので様々な示唆を与えていただけるという点で
必要だと思っております。
そういう点で言うと、まだ何もしてきていない新卒学生を企業が一括で
採用しているという現状、学校別にラベルわけをして身勝手な評価しているという点には
納得できません。
学生個々人の、例えば東京大学入学に至るまでの過程を否定はしません。
凄いことだと思います。ただ、そうしたくてしたのである以上、
それは他の大学に入学した学生と差がある事に僕は納得がいきません。
(これも僻みでしょうか)
そのラベル分けする事は評価なのでしょうか。
その学生の“顔”を見ての評価だとは到底思えないのですが、
mayugeさんをはじめ、他の皆さんはどうお考えですか。