「学歴」とは何だろうか
はたして、18歳の時の入試の成績が、そんなに重要なのか。学歴は、それを持つ者にとっても、持たないものにとっても、やっかいな存在です。さまざまなコンプレックスの原因にもなる。情報ビッグバンで、多くの人が自由に情報にアクセスできる時代に、本当に「学歴」は必要なのでしょうか? みなさんのご意見をお聞かせください。
学歴について
学歴は ある人の個人史の中でどこの学校へ行って何を学んだかという客観的な事実です。学歴が真実であるかぎりそのものが悪い訳ではないと思います。私はWikipediaの『学歴』という項目を読んでみたのですが、日本は学歴社会ではないという記述がありました。学歴による収入格差が他国に比べて小さいからだそうです。日本が学歴社会かどうかというのは賛否両論あるようです。
江戸時代の士農工商の身分制度に比べたら 学歴社会はずっと平等で武士のうちに生まれようが 農民の子に生まれようが平等に試験さえ受かりさえすれば東大に入学できます。江戸時代と今を比べて現在が最善とは思いませんが、確かに日本の国も変化しているのだということを感じたいのです。
Wikipediaにはさらに 士農工商の身分制度がなくなり 政府の官僚機構に優秀な人間を供給するのに大学を卒業した人間が大量に必要となったこと。19世紀以降大企業が生まれて会社が官僚機構化して ホワイトカラーが大勢必要になったこと。学歴社会はなるべくしてうまれた身分社会のあとの 平等な社会を構築することを目的にできたしくみで、不平等にしようと思って作られた訳ではないと思います。。
どうして身分社会がいけなくて、学歴社会がいけなくなるのか? きっと社会が停滞するからではないかと思います。現在世界は出口の無い不況に喘いでいます。高収入を得る職業が同じ家族の人によって引き継がれていくと能力があっても大学へ行けなかった人は低い収入の仕事に甘んじなければいけない。不平等だということになる。こういうのを階層の再生産というらしいのですが。
学歴社会がよくないという主張のもう一つの根拠は グローバリゼーションとネット社会の波の中で 学歴社会では対応できないということがあると思います。大学で学んだことが社会に出た時に既に社会で役立てるには古くなってしまう。では大学で何を学んだらいいのでしょうか。
社会で役に立つことを大学で学べないのなら、どこでどう学んだらいいのか。
教育社会学という学問だとおもうのですが、世界が身分社会から学歴社会へと変貌し次に求められるのは学習社会というのだそうです。どなたの著者かちょっとはっきりしないのですが。それについて読んだ資料をもう一度探せなくて。どなたかご存知でしたら教えてください。学習社会がどんなものであるかそれについて書かれた本をまだ読んでいないので勝手に想像したのですが。学校では学んで、会社に出たら働くと言ったはっきりした区分けを止めて、いろいろなところと時で学んだり働いたりできる社会に日本もなればいいなと思います。
私は学ぶための会社というのがあればいいと思います。NPO団体で利益を上げるがそこで働く人が学びながら働くために会社の利益をその為の環境を整備するために使う。給料はあまり高くないが学ぶ権利が認められる。半分会社で半分大学のような組織。そこを足場にして 能力を身につけたら別の仕事に就けるという環境ができないでしょうか。私は現在の日本の大学、会社が世界においていかれる原因の一つは異分野間での流動性が難しいことで固定観念を打破できないことにあると思います。ですからいろいろの分野の人が集まって働き、学べる環境があればいいなと思ったのです。
学歴社会の弊害については 解決しようと学歴社会ではない社会を構築するのはいいと思うのです。ですが欠点があるからといって全否定しなくてもいいと考えています。原発のところでは脱原発を強く主張しましたが、原発による発電を選んだ日本が100%悪だとも思いません。大きな欠点があったとしても それ全てが悪い、100%だめだと決めつける考え方を 私自身はしたくないのです。どんなに悪いことが起こってもそのことの良い面を見つけたいと思っています。