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社会保障についてどう思いますか?

現在、生活保護の受給者は200万人を超え、年間3.5兆円ものお金が使われています。

そもそも働く気がない人もいると思いますが、働きたくても仕事がないという人が増えている。そういう時代において、社会保障というセーフティネットというのは、どのような意味を持つのでしょうか。

セーフティネットが無ければ、人間はチャレンジすることができません。でもセーフティネットのシステムに依存して怠ける人も出てくるかもしれない。

また、今の日本は財政難に陥っていて、いくらセーフティネットが必要だとしても、それを作るには国民がかなりの「痛み」を覚悟しなくてはならない。生活保護だけでなく、年金も支給年齢を遅らせるということが、さかんに議論されています。

自分の力で人生を切り開く自助努力と、社会のセーフティネットは、どのような関係にあるべきでしょうか。みなさんのお考えを聴かせてください。

NO.4   bonitao 2011/10/22 09:36:58 合計 0pt.

社会保障について


私たちが生きていくシステムの中で自然発生的であるけれども不可欠なものは、「自助」と「共助」であろう。

「自助」がありそれを地域社会を中心とて「共助」のシステムが稼働することにより人社会は機能してきた。

今日ではこの「共助」が機能しなくなっている、あるいは機能しにくくなっていることが日本社会の大きな特徴であろうと思う。これが社会保障制度を膨張させている一因ではないかと疑っている。

制度欠陥、人口構成の歪みや財政の問題もあるが、それだけに帰結させるのは違うと思う。

介護保険制度の理念は「自立支援」であるが、現場に入ってみると、「自立したくない」年寄りと「自立させたくない」家族や介護事業者であふれかえっている。
『老いた親を引き取りもしないで、田舎に放ったらかしにしている』といいう非難を回避するため親を引き取る都会人を多く見る。『年をとったから息子夫婦の所に身を寄せる』という年寄りも多い。
これらは自立したくない、自立させたくない事例の一端である。

『孤独死』が話題になるが、これは「共助」の欠如を示している。
阪神大震災の時孤独死が相当話題になったが、中越大地震、東北大震災ではほとんど話題にならない。
これは共助システムが機能したのではない。
社会保障システムの一つである『介護保険制度』が大きく寄与している。
阪神大震災当時は介護保険制度がなかったがそれ以降は、介護保険制度により高齢者の所在把握が相当程度に進んでいたし、中越地震の時は避難所の体育館にすぐに臨時のデイサービスが開設されたりもした。

社会保障システムというのは人為的にあるいは政治的に社会の中に組み込まれたもで、「公助」の一つといってよい。それは「自助」、「共助」の後からついてくるべきものである。自助、共助を以てしてもなお生活に困窮する者に対する自立支援を促すものでなくてはならない。

「自助、共助をしないのもを助ける必要はない。そのような存在は社会悪である。」
このような社会的合意形成が今の日本で可能であろうか。それは正義であろうか。

少なくとも、最後に来るべき公助=社会保障が最初に来るような議論が多すぎ、それが社会保障費の限りなき膨張の一因となってはしないだろうか。

以上の観点より、社会保障制度については制度的な精緻さや公平性の議論も重要であることを認めつつも、その前に『自助』、『共助』を視野に入れた、今日の日本社会のあり方そのものを議論し、社会保障制度に関する新しい国民的合意形成に向かう議論を巻き起こす必要があると思っている。

さもなくば、いかなる制度論議も増税論議も木を見て森を見ずとなるのではないかとの危惧を感じている。