社会保障についてどう思いますか?
そもそも働く気がない人もいると思いますが、働きたくても仕事がないという人が増えている。そういう時代において、社会保障というセーフティネットというのは、どのような意味を持つのでしょうか。
セーフティネットが無ければ、人間はチャレンジすることができません。でもセーフティネットのシステムに依存して怠ける人も出てくるかもしれない。
また、今の日本は財政難に陥っていて、いくらセーフティネットが必要だとしても、それを作るには国民がかなりの「痛み」を覚悟しなくてはならない。生活保護だけでなく、年金も支給年齢を遅らせるということが、さかんに議論されています。
自分の力で人生を切り開く自助努力と、社会のセーフティネットは、どのような関係にあるべきでしょうか。みなさんのお考えを聴かせてください。
社会保障について
私は、社会保障というセーフティネット必要だと考えます。
そこに、中立公平な(ズルを許さない)ジャッジメントがあって、ということが大前提ですが。
(順序が逆ですが、)セーフティネットをなくすべきではないと考える理由は、
地域社会には、先天的にも、後天的にも不自由さを担なう人は必ずいます。
優しすぎて責任を負いすぎて、心が疲弊してしまう人もいます。
地域社会を形成する根源は、自律、利他の精神。
セーフティネットは、基本的生活を営む手段の提供ですし、そのもとは、私たちが出し合っているものです。
提供されるものは、お金、有形物、無形物で、いずれも、「もの」ですが、そこには「他人を思いやる気持ち」が入っている。
つまりは、利他の精神、1つの方法だと考えています。
弱くなったコミュニティの力。復興に力をいれていますが、これはすぐに解決できるものではありません。
そんななか、弱者を助けられる「セーフティネット」は、なくすべきではない、そう思います。
一部の人の、あやまった使い方でなくせるものではない。
で、セーフティネットをなくすというより、
不正受給を是正できるシステムの再構築が、必要なんだろうなと、私は思っています。
予算の絡みで医療制度改革、税制改革、社会保障改革が走りだしています。
予算からみ以外、生活様式、経済格差は、現存の法律などが制定されたころから、大きく変容しましたので
どこかで、現在の生活にあわせた、税・社会保障の見直しは必要だったので、よい時期なのかもしれません。
ただ、医療制度化改革もそうですが、「生活」「健康」といった、人が生活する基本を構成する
事柄に対する規定、システムづくりに際しては、現場を鑑みて、特例でてきたさいにも揺るがない、根拠と
信念を、確立すべきだと思います。
私も、生活保障に絡んでいましたが、さまざまな価値観が地域にはあり、生活は特例ばかりです。
健康を害している人、少ない国民年金しかないけれども家族に養ってもあえない高齢者やからだに不自由があるかた、などいろいろなケースにあたったときに、少しでもジャッジメントする人の価値観ではないところで、判断することは至極難しいですし、一律に、法にそっていないからと切れる事例ばかりでもない。
セーフティネットを利用する人が、だれにも頼れず困窮している人なのか、もしくは、上手に偽装して自分の利益を最優先してセーフティネットを利用しようとしているのか判断できるよう、現場に密着した議論がされ法が制定されれば、ジャッジする人もその背景を理解し、不正受給は減少していくのではないかと考えます。
ベーシンク・インカムという言葉を知らないままに、本文を書いていますが、
行政の負荷を小さく、セーフティネットが行き渡るようにする、システムこそ、行政屋の人数は不変もしくは減少していて、受給希望者が増加している今、望まれているんだと思います。
あべこべになっているかと思いますが、茂木さんの読解力に期待しまして、最終確認せずに投稿させていただきます!
このことに関して、対面形式でのディスカッションの機会があればなーと希望してます!では!