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社会保障についてどう思いますか?

現在、生活保護の受給者は200万人を超え、年間3.5兆円ものお金が使われています。

そもそも働く気がない人もいると思いますが、働きたくても仕事がないという人が増えている。そういう時代において、社会保障というセーフティネットというのは、どのような意味を持つのでしょうか。

セーフティネットが無ければ、人間はチャレンジすることができません。でもセーフティネットのシステムに依存して怠ける人も出てくるかもしれない。

また、今の日本は財政難に陥っていて、いくらセーフティネットが必要だとしても、それを作るには国民がかなりの「痛み」を覚悟しなくてはならない。生活保護だけでなく、年金も支給年齢を遅らせるということが、さかんに議論されています。

自分の力で人生を切り開く自助努力と、社会のセーフティネットは、どのような関係にあるべきでしょうか。みなさんのお考えを聴かせてください。

NO.9   masami 2011/10/27 19:25:44 合計 0pt.

”自分の力で人生を切り開く自助努力と、社会のセーフティネットは、どのような関係にあるべきでしょうか。”

難しいお題です。

社会をどのようにとらえているかによって、随分と考え方が違ってくるように思います。社会の外に自分を置いて考えてしまうと、社会は自分にとって何なのか、何をしてくれるか、という考え方になってしまいがちだと感じます。
社会の一員として考えようとするときは、どうしても今の自分を基準にするので、あらゆる立場を想像することが難しいです。

NO.1 chigusaotsukiさんの ”だれでも、発展的に生きることを、望んでいるはずです。”
からスタートしてみます。

高齢者施設でのレクリエーションを見たことがありますか?楽しそうに歌を歌ったり、ボール遊びをしたり…。高齢者だからそれでいいとも思えますが…。自分が高齢者になったとき、毎日がそんな風に過ぎて行ったら悲しいような気がしませんか?
ある団体が、高齢者施設で、自分を知るためのワークショップを継続して行ったら、皆さん目を輝かせて参加されたそうです。高齢者だって、新しいことを知りたい、という好奇心があるのです。(そういえば、今日の連続ツイートは、好奇心についてでしたね)

誰でも発展的に生きることを、望んでいるはず。に、同感です。

経済的に、精神的に、生きていることがやっと、という人が、発展的に生きていけるような社会的な支えがセーフティネットである、と考えれば、ベーシックインカムのような制度があったほうがいいと思います。ある程度の痛みがあってもいいと思います。(すみません、財政的なことについては、まったく言及できませんが)

どのように?と具体的に考えるとき、不正受給といった制度上の問題がすぐに思い浮かびますが・・・。

たまたま今日読んだ、「子どもの人権再考」(『新しい思春期像と精神療法』滝川一廣著より)に、人権思想について書かれていました。
”「人権」を扱うとき、これは「神の正しさ」への反省から生まれた「人の正しさ」、誤ることも矛盾することも避けられない、修正や妥協の余地をたえず残す相対的な約束としての「正しさ」であることを銘記すべきであると思う。ここに人権思想の原点がある。”

人間が何らかの制度を作る時、そこには矛盾も誤りも含まれることが避けられない、という覚悟のもと、その矛盾や誤りが、小さくなっていくように変えていく、と考えたらどうでしょうか?
セーフティネットをつくることで依存する人、不正受給する人を許さないのではなく、そういう人が出ることもある程度許容しても尚、成り立ちうるシステムは、ありえないのでしょうか?自分が、生きることがやっとの状態になったとき、そういうシステムがあったら、きっと立ち直る希望を捨てずに済むと思うのですが…。

現実離れした、夢心地の考え方だとは思います。それでも、自分が住む社会が、自分を含めた社会の一員の人権を大切にするものであってほしい、発展的に生きることができる社会であって欲しい、と私は思います。そのための最低限の保証があって欲しいと思います。

何を一番大切にするか、それが社会で共有できれば、まんざら夢でもないようにも思えるのですが…。