社会保障についてどう思いますか?
そもそも働く気がない人もいると思いますが、働きたくても仕事がないという人が増えている。そういう時代において、社会保障というセーフティネットというのは、どのような意味を持つのでしょうか。
セーフティネットが無ければ、人間はチャレンジすることができません。でもセーフティネットのシステムに依存して怠ける人も出てくるかもしれない。
また、今の日本は財政難に陥っていて、いくらセーフティネットが必要だとしても、それを作るには国民がかなりの「痛み」を覚悟しなくてはならない。生活保護だけでなく、年金も支給年齢を遅らせるということが、さかんに議論されています。
自分の力で人生を切り開く自助努力と、社会のセーフティネットは、どのような関係にあるべきでしょうか。みなさんのお考えを聴かせてください。
ここ一ヶ月ほど、人生で一番面白い祭りに参加していたもので、
なかなか掲示板に投稿できませんでした。
さて、社会保障についてですが。
私がよく感じるのは、社会保障を本当に必要としている人に社会保障は、
届いているのだろうか? ということです。
日本は社会保障の行き届いた国ですが、
公園で寝起きする浮浪者の方々は何故、限界近い生活をしながら
社会保障を受けないのだろうか、
それとも受けられないのだろうか? と考えるのですが。
福祉事務所のケースワーカーの方に伺ったお話ですと、
住所を持っていないと生活保護の申請というものは
できないのだそうです。
なぜなら、ケースワーカーは担当区が決まっているので
住所がないと担当者がつけられないとのこと。
なので、多少の資産があっても仕事があっても
生活保護は受けられるのだから、
住所を無くす前に申請に来て欲しいとおっしゃっていました。
しかし、実際に困っているのは
そういった「保護を受ける」という考えにたどり着けない、
情報のない人たちですので
そういった人たちを助けるために「住所を持っていない人担当」
という担当が現れない限り、
本当の意味での社会保障は生まれないのではないかと思います。
ベーシックインカムという制度にして、
社会保障にかかる社会保険庁の維持費や職員を養うために
かかる費用が、そのまま国民の基本所得になるというのは
非常に魅力的なことですね。
公園で寝起きする人もいなくなると思います。
しかし、
そうなった時に人がわざわざストレスのかかる職場で
労働意欲を保っていられるかどうか…というのが
問題なのだと思います。
ベーシックインカムでもらえる額が、
本当に些少なら問題ないのでしょうが。
もし高額だった場合は、表現者はたくさん増えて、
単純作業の現場からは人が一人もいなくなるんじゃないでしょうか。
一人もいなくなるまで行かなくても、減るとは思います。
生活保護を十年以上受給している友人が二人いるのですが、
彼らは二人とも自閉症傾向のあるアーティストです。
一人はボランティアで美術館の手伝いをしている写真家で、
一人は完全な無職で、彼は音楽と文学をこよなく愛し、
英語やドイツ語も話せます。しかし、無職です。
生活保護は、その人の自立を応援する社会保障なので、
就労したら打ち切られるものではありません。
ですが、十年以上生活保護を受給して生きていても、
人を相手にお金を得るということに、そのストレスに
彼らは耐えられないのかもしれません。
ようは、彼らには「生活保護を受ける才能」があるのです。
それはそれで、才能です。
なかなかできることではありません。
ストレスありきの仕事を
楽しむほどの根性がなければ、
お金というものは稼げないのかもしれません。
お金とストレスはワンセットなのです。
5年ほど前ブラジルを訪れた時、
社会保障の全然行き届いていない国では
事故で足や腕をなくしても、新聞配達をして自力で稼ぐ……しか
生きる道がないからこうやって稼いでるんでい! といった感じに
足のない人や腕のない人が
路上でガンガン新聞やらアメ玉を売りつけてくる姿に
迫力を感じました。
お年寄りも年金がほんのわずかしかもらえないので
死ぬまで働き続けています。
あの迫力を、今の日本人は持てないでしょう。
いろいろと細かいところまで整備されてしまってますから。