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組織と個人のあるべき関係とは?

<組織と個人のあるべき関係とは、どのようなものでしょうか?>

「組織の一人」として働くことと、「一人の人間」として働くことの間に
葛藤がある人は多いと思います。今、原発の復旧作業にあたっている東京
電力の社員もそうでしょう。このことは、正社員と非正規社員の問題にも、
就職活動の問題にも、つながるように思います。組織はどうしても必要な
もので、組織のない社会など考えられません。でも一方で、組織が個人の
自由を奪ってしまうことは事実ですし、日本ではとくにそれが目立ってい
ます。これを機に、組織と個人のあるべき関係について、もう一度考え直
してみませんか?

NO.22   LAMPRIGERA 2011/04/12 00:31:03 合計 0pt.

たしかに、自分から一石を投じていくということは重要なことですね。そして、この掲示板での投稿の一つ一つもまた「一石」と言えるでしょう。

たぶんこの場に集っているほとんど全員が、何か変化をもたらすべきだと考えていると思います。しかし、では、「実際に何をどう変えていけばいいのか」というところに関しては、まだまだ漠然としている状態なのではないでしょうか。

もし、多様な意見がこうした場所で出てくるなら、そのなかにこのような難しい問題のヒントに繋がるようなアイディアが表れる可能性が高い。だから、こいう場では、たくさん、多様な発言が出されるといいと思います。

僕は、書きたいことがあるけれど、それを躊躇している人が、まだまだいると思います。だから、どうして発言に対する躊躇があるのかという点についても、考えてみる必要があると思います。

思うのですが、投稿が躊躇される大きな原因の一つは、最初から、あまりにも大きな石を投じなければならないと気負ってしまっているからではないでしょうか?

おそらく、僕たちの多くが受けた学校教育では、いつも他から抜きん出たような「熟達した」人がもてはやされてきたように思います。いつも、そのように「優れた」人物を選びだして、比較に基づいて色々なことを判断してきたきらいがあります。だから、投稿するとなれば、なにか洗練された感じの文章しか認められないように思ってしまうし、それで、自分の石が十分大きなものであると感じられるまでは表現することを躊躇してしまうのかもしれません。

常に秀でているとか、勝っているとかいったことが評価されるので、新規のアイディアやいいものを持っている人でも、ただそれを表現する表面的なスキルが未熟だったりすると、発言すること自体を疎ましく見られたりしてきたかもしれません。こういう過去の経験が圧力となって、あたらしい芽が育つことが阻まれている可能性があります。

この場所ではどんな表現でも、言葉が足りなくても、ちゃんと自分が独自に思ったり考えたりしたことがそこに表現されている限り、歓迎されるべきだという認識が共有され、掲示板からもそれが感じられるといいと思います。「一石」を投じるさらに前の段階として、この場所はいままで経験してきたようなケチな議論の場ではないし、そのような場にはしないぞ、という参加者の決意が重要と思います。

想いをぶつける、それが感動に繋がる一つの行為だと思いますが、それは技巧にこだわらないで、自分の正直な思いや、これまで人の目を気にして言えないでいたようなことを、ポーンと放ってみるようなものかもしれません。

言葉が洗練されれば、それだけ的確に気持ちが表現できるようになるとは思いますが、でも、それは「感動」という観点からすると些細な問題であるように思われます。