公務員という職業はどうあるべきだと思いますか?
今、公務員のあり方が、問われているのだと思います。公務員は「日本社会の非効率性の象徴だ」という考え方もありますし、一方で、「公務員でなければできない仕事がある。苦しい今こそ『公』を大事にしなくてはならない」という考え方もあります。
また、若者の中には、この不透明で就職難の時代に、公務員というのは、「安定した数少ない職業」として人気を集めている現実もあります。
公務員のあり方について、みなさんはどのように考えますか。多くのご意見をお待ちしています。
中学一年の時の担任の先生を思い出します。ここではK先生とお呼びさせて頂いて。
当時の中学では土曜日とか中途半端なところに道徳というこれまた中途半端な科目が設定されていました。こんな事を言うと怒られてしまいそうですが、他の科目のように「コレコレを教える/学ばなければならない」というようなものではありませんでした。
小学校の頃からありましたが、教師によっては生真面目に「道徳の教科書」を使って授業をする人もいれば、ほとんど長時間ホームルームのように使ってしまう教師もいました。中には教師独自のゲームで面白おかしく勉強をさせてくれるような人もいました。
K先生の道徳の授業は「雑談」でした。しかしこれが面白かったのです。毎回クラス中が爆笑の渦でした。隣のクラスの先生が「何を騒いでいるんだ静かにしなさい!」と注意しに来るほどで、まさか騒がせてる張本人が担任とは思っていませんから、微妙な空気になってたのもそれはそれで楽しい思い出です。
”公務員”という単語で私がまず思い出すのは、この「雑談」の中の一つです。
たまたま車を使っていて、ヘッドライトが片目になっている事に気付かず走行し、慌てて修理屋にかけこもうとしたところで警官に止められてしまったというだけの話です。K先生は小柄でしたがスマートな筋肉がついており、サッカー部顧問として部員のだれよりも上手く、生活指導的な立場ではあるもののやさしさのある厳しさを持つ人でした。しかし常に坊主頭で、ちょっと犯罪者っぽい顔立ちをしております。
警官に「職業はなんだ」と問われるK先生。 「……公務員です」 警官「嘘をつくな!!」 というだけのオチでクラスは大爆笑でしたが、何か印象的な話だったのでよく覚えています。
「教師」と答えると信じてもらえないだろうという遠慮から「公務員」と答えたのに結局信じてもらえない程コワモテでした。その時は「教師→公務員」という意識はあまり強く持っていませんでした。
私が特定難病疾患の受給者票を申請する為、毎年お世話になっている保健所があります。市役所や、No4:TedKawanishiさんが挙げている支所などで受ける印象は「とても事務的」だという部分があります。事実私も役所に行く度に「お役所仕事だなあ」と、少し不満を持ってしまうのが正直なところです。
ですが、私がお世話になっている保健所は「一味違うな」と思わされます。普通、役所と言えば郵便局のようにカウンターが並んでいて、役割ごとに細かく窓口が設定されていて、どうにも分かりにくく融通の利かないイメージがあります。
その保健所は、入るなりカウンターが見つからず、丁度学校の職員室のような、雑然とした事務所のような構造をしています。「とりあえず中に入っちゃって下さい」というような内容の張り紙が入り口にあるほど雑然としています。中に入ると気付いた職員が案内をしてくれます。簡単に用件を伝えると、すぐに連携されて窓口となっている「辺り」まで案内されます。
難病疾患の申請は色々と書類が多く、年によって少しずつ必要な書類が変わったり、収入や職場の変動でも必要な書類が変わったりとなかなか把握しづらい部分があります。
そういった事は、基本的には申請する側がしっかり全て揃えていなければ門前払いされてしまいますが、その保健所ではどこかのサービス業かと思うほどに柔軟で、きちんと相談に乗ってもらえます。
書類の不備をそのまま通すような事はしませんが、保健所でできるのかアヤシイ部分もまずはトライしてくれる姿勢などはかなり心強いなと感じる事もありました。
公務員といってもあまりに多岐に渡るのだと思います。
「おカタい仕事」と思われるのは、それが「公」であるが故に、リスク回避の方向へと極端に振り切れてしまう傾向があるからなのではないか、と考えたりします。お役所仕事といわれるのは、まさにそういうことではないでしょうか。
小・中学校の教師などは、そんな事を言っていたら勤まらないようにも思います。多くの教師は必死でしょうし、部活の顧問などはほとんどボランティアのようになっているよなあと、今思えば苦労をかけてしまったなと反省するくらいです。
保健所の(個人的にですが)印象の良さも、どちらかというと「そこで働く人達」によるものだなと思わされております。公であるが故にガチガチになりやすいトコロを、どのようにしていくのか。それを考えただけでも大変だなと思う訳で、そうなると保健所のそういった嬉しい対応は私が見える範囲の裏側で、私では気付けないような色んな苦労があるのではなかろうとか、とも思います。
これは非常に厄介な問題でもあります。とにかく「評価」しづらいからです。公であるが故に、ルールから外れた事はできない、と多くの人が(公務員でない人までもが)考えていると思います。コスト削減は大事な話だとは思いますが、これまで存在している「心ある公務員」達の首を絞める可能性もあると思うと、そう簡単にカットカットとは言えないなあ、と考えてしまう訳です。
私は公務員こそ「柔軟」であってほしいと考えています。「実際」を研究する立場にあるのではないか、と思うからです。最大効率、人員キュウキュウで回せ、とまではおそらく誰も思っていないだろうと思います。公務員は金持ちになるな、とも私は思いません。教師や消防士など、現場で必死にやっている方々にはもっと余裕と給料が与えられてもいいんじゃないか、と素人ながらに考えてしまいます。
保健所の例を出しましたが、公務員であるなら「自分たちで好き勝手にやる」のは許されないと考えます。普通の営利企業のように、顧客を選び、より会社に取って都合の良い部分だけに力を入れる訳にはいきません。
割り当てられた市民へ、できるだけ公平にサービスできるようなものが求められているからです。ですから、大方針に職員全てが従っていくという部分は基本中の基本であると思います。そうでなければ、好き勝手に自分たちの主張を展開するだけの個人集合になってしまい、求められているものに応えられないからです。
直近の例では「国家を歌わない」と主張した教師のようなものでしょうか。
先の保健所では、私に対して「保健所の役割」を十分公平に与えて頂いた上で「より良いもの」を目指せているのではないかと思います。つまり、きちんと「大指針には従っている」に過ぎない訳です。公務員として求められているもの、それを達成するための指針、これらがある事と「ガチガチになってしまう事」は、実は別問題ではないかとも思います。
橋下さんの全ての主張を読んでいる訳ではないので恐縮ですが、橋下さんが行おうとした事は結局「大指針をもっと明確にしよう、きちんとしよう」というだけの事だったのではないかと思います。
教師の大指針は、まず「子供たちへのより良い教育」を見据えるべきものである事に違いはありません。子供たちへの教育をもっともっと良くしよう、それも公務員として公平に。だからこそ指針が必要だ、それをもっときちんとしよう。それだけの事だと思います。
その指針に<則った上で>、さらに一人一人がどんな創意工夫に挑戦できるかという部分が「人間」の仕事ではないでしょうか。私は橋下さんの言っていた事が「独裁」だと受け止める事はできませんでした。
恐らく、教育現場を通じて、本気で子供たちの事を考えて橋下さんに反対した教師もいる事と思います。私はそれを批判するものではありません。むしろ、そうであるなら私はその教師も「人間らしく悩みぬいた人なのだな」と考えます。
公務員の制度そのものは「システム」ですが、公務員は人間であり、そのサービスの矛先も、基本的には人間の為であるはずなので、そこさえ忘れなければ、忘れてほしくないなと願うばかりです。