ネットはコミュニケーションの何を変えたのか?
http://yakan-hiko.com/event.php?id=20120204
この掲示板でもみなさんからご意見を集めて、当日議論する話題の参考にしたいと思います。
メールをはじめとして、ツイッター、フェイスブック、ミクシイなどのSNS、2ちゃんねるなどの掲示板、ニコニコ動画、あるいはソーシャルゲームなどなど、みなさんそれぞれの生活の中でコミュニケーションを取るときに、インターネットを利用していると思います。
それらのコミュニケーションツールについて、率直な感想を教えてください。もちろん社会に対して与えた影響についての考察を書き込んでくださっても結構です。
よろしくお願いします。
trasqueさんの投稿は、本当にわかりやすくて面白いです。
こういう、面白い人の考えに触れられるのも、ネットのありがたいところだと思います。
さてさて、お題の「ネットはコミュニケーションの何を変えたのか?」について
私の今の、インターネット利用の状況を振り返ってみましたが、
本当に、原始人のようでお恥ずかしいのですが私は、
TWITTERもFACEBOOKも、やらない人間なのです。
ブログだけは6年ほど前から続けているのですが、それは
自己表現の場であって、
コミュニケーションツールとしては使っていないのです。
ブログコメントも受け付けずにただただ発信しているのは、
私の現在のキャパシティが極端に少ないからです。
以前は、コメントにも答えて、ソーシャルネットワークのmixiも面白がって
使っていたのですが、
それをやると1日1時間はコメントへの返信に消えていくので、
その1時間に何か、他のことをしたくなったのか
元からコミュニケーションをそんなに必要としていなかったのか、
とにかく「命は削れていくんだな」と感じてしまってからは
なかなか、コミュニケーションツールに手を出せなくなりました。
掲示板に書き込むのも、この場所ぐらいです。
とにかく、命は削れていくのだから、
何に削るかを決めたいと思ったんだと思います。
「インターネットの情報は、多いようで少ない」と、私の友達が言っていたのが
とても印象的で、「あれだけたくさんの情報に溢れているインターネットも、
その人の声とか、顔の表情とか、言葉のニュアンスとか。匂いやしぐさは伝えられないものなんだ」
そういわれてから、受け取る情報も「あらかじめ、すべては受け取れない」ことを
前提として受け止めています。
言語以外のものが消えていることを忘れてしまうと、
多くの行き違いの発生すると思うからです。
ただ、言語表現の巧みな人は
読んでるうちに物語の中に相手を引きずり込んでしまって、
見えていない景色も、嗅いだことのない匂いも
嗅がせることができるのだと思っています。
そして、ツールとしてのインターネットですが、
それを紹介するのに面白い人がいます。
舞踏家の吉本大輔さんという方は、
暗黒舞踏の草創期から舞踏に関わり、
舞踏家・大野一雄の「ラ・アルヘンチーナ」や「私のお母さん」の
舞台監督をされた方なのですが、40歳から自らが踊り出し、
もう齢60歳くらいの方なのに、筋骨隆々としていて、
ものすごくいい身体をしていて、彼の舞踏を見ていると泣けてきます。
その方が、舞踏公演の集客のために
「mixiにペタを残す」という手法を取っていると言われた時に、
何か、雷に打たれたような思いをしたのです。
実際に、その残されたペタが気になって
彼のページを見て、その写真のただ者でなさに打たれて、
東京の公演を見にいったくらいです。
吉本大輔さんは、本当に踊りたくて踊っていて、
そして舞踏家として収入を得るために
舞踏に興味のある人のページに、ペタを残して行くんだな……と。
何か、超えてる感じがしたのでした。
今、私は非常に自分のキャパシティが狭くて、
子ども二人を育てて仕事をするのに
いっぱいいっぱいなのですが、
時間に余裕ができたら、自分の仕事のために
そういったコミュニケーションツールを使いこなす覚悟も
あった方がいいなと思っています。
命は削れていきます。
だけど、覚悟を持って削っていくというのも
格好いいと思うんです。