ネットはコミュニケーションの何を変えたのか?
http://yakan-hiko.com/event.php?id=20120204
この掲示板でもみなさんからご意見を集めて、当日議論する話題の参考にしたいと思います。
メールをはじめとして、ツイッター、フェイスブック、ミクシイなどのSNS、2ちゃんねるなどの掲示板、ニコニコ動画、あるいはソーシャルゲームなどなど、みなさんそれぞれの生活の中でコミュニケーションを取るときに、インターネットを利用していると思います。
それらのコミュニケーションツールについて、率直な感想を教えてください。もちろん社会に対して与えた影響についての考察を書き込んでくださっても結構です。
よろしくお願いします。
ネットはコミュニケーションの何を変えたのか
Trasqueさんの書き込みは相変わらずですね。
かくいう僕もトラスクさんとネットを通じて友人になれた一人ですから、ネットには感謝しています。
今ではE-mailを携帯電話で出来るようになってから、人と人の距離間は今までよりも近くなったのだと思うのです。それが今では形態という媒体に捉われず、ネットの“空間”において人との接点を作り出せる世界になっている訳ですが、その空間の中でバーチャルな自分を表現し、そこで何かを得られる関係を築けるようになったのは非常に素晴らしい技術ですし、そのお陰で僕は様々な人の人生に触れる事が出来ました。
カッコつけた言葉になる「人生」という単語も、直接的に話を聞けることはネットという媒体に僕が足を踏み入れていなければ無かったのですが、そこに踏み入れているがために、この中でも素晴らしい方々と人生を共有する事が出来ています。
それは何も日本という狭い世界での話では無くて、我々が生き吹いているこの丸い世界中の中でネットの中での関係は実世界でのつながりになってきました。これはある意味でネットの中では平等性が生まれているとも言える筈です。ネットの世界に足を踏み入れる事が出来ているならば、どこの誰にでも連絡を、ひいては挨拶をする事が叶うわけですから。
この“挨拶”という事が僕の中では非常に大きく思うのです。よく日本の中では「挨拶はコミュニケーションの第一歩」なんて言われ方をしますが、その程度にもよるとは思いますが、面と向った時に「おはよう」の一言が言えるか言えないか、というのは大きな違いを生むように思うのです。これは僕が体育会系の人間だからか、何なのかは分かりませんが、これをネットの中で言えるようになった事が何よりなのだと僕は感じています。
どんな言語にも変換できるのですから、これ以上のツールはないのでは無いでしょうか。言葉は分からなくても、「グッドモーニング」「グーテンモルゲン」など挨拶は出来ます。人生という言葉を上で使いましたが、ここに書き込んでいて固まりました。「挨拶」だなと。
「おはよう」を言い合える距離が短くなった事がネットの革新的なコミュニケーションを支える根源だな、と。勝手に思う今日この頃。