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ネットはコミュニケーションの何を変えたのか?

2012年2月4日、津田大介さんと「メディア革命―ネットはコミュニケーションの何を変えたのか」というテーマで公開対談をします。
http://yakan-hiko.com/event.php?id=20120204

この掲示板でもみなさんからご意見を集めて、当日議論する話題の参考にしたいと思います。

メールをはじめとして、ツイッター、フェイスブック、ミクシイなどのSNS、2ちゃんねるなどの掲示板、ニコニコ動画、あるいはソーシャルゲームなどなど、みなさんそれぞれの生活の中でコミュニケーションを取るときに、インターネットを利用していると思います。

それらのコミュニケーションツールについて、率直な感想を教えてください。もちろん社会に対して与えた影響についての考察を書き込んでくださっても結構です。

よろしくお願いします。

NO.5   masami 2012/01/03 16:00:18 合計 0pt.

「私たちの言語表現能力には限界がありますから、実際の体験、実際に起こっていることのほんの一部しか表現することはできないはずですが、いったん言語化されると、あたかもそれがすべてであるかのような錯覚を招きがちです。」

これは、twitter でみつけた、『人の心はどこまでわかるか』という本の中の河合隼雄さんの言葉です。
ネットでつながるということは、殆ど言葉でつながっていることだと感じます。
実際に出会っている場合は、意識できなくても、視覚的な情報がかなりの影響力を持っていると思います。
ネットで繋がり、豊かなコミュニケーションを持てたと感じた人たちが、さらに実際に出会うことで、本当に出会ったと感じることが、ネットでつながることの豊かさなのかな、と想像します。
私には、そのような体験がないですが、それはNO.3 yamadaswitch さんと同じようにキャパシティが極端に少ないことと、基本的に人間関係においてoutputよりinputの方が圧倒的に多いからかもしれない、と思います。
twitterでも、いろいろな人の情報や呟きを、ふーん、と感心して読んでいる時間が、圧倒的に多いことから、ネット上の振る舞いも日常生活の振る舞いを反映しているように感じます。
新奇なことに触れるのは好きですから、日常生活では決して出会えないような人とネットで緩くつながれるのは、今の私にとってとても貴重な楽しい体験です。

そこからさらにつながりを深め、実際に会ってみようかな、と思うまでには、一つの大きな壁があるように感じます。
書きながら、もしかしたら、日常で出会うことと、ネット上で出会うことを、自分の中ではっきりと区別しているのかもしれない、と感じました。
どこかで、日常で出会っているのとは違う出会いを体験している、と思っているのかもしれません。そういえば、日常で出会っている人と特にネット上で語り合おうという気にはならないのも、そのためでしょうか。
現実に見知らない人に話しかけるのは、意外に平気なのですが…。
それとも、outputが苦手な人などのように、ネットによって、豊かなコミュニケーションをすることには向いていない人がいるのでしょうか?
周りを見まわしてみると、なんとなくそんな気もします。

ところで…
yamadaswitchさんの、命が削れていくという表現、とても印象的です。

生きるとは、その人が使える時間
という言葉を聞いたことがあります。
でも、自分の使える時間がどれくらいか、知っている人はいないのだな、と思った時、かえってどう生きるかを、切実に問われているような気がします。