ある課題をするとして、苦労をして満点を取った人と、苦労をしないで満点を取った人では、どちらが偉いと思いますか?
「苦労をした」という経験は、別の課題に取り組む際の粘り強さを培うことになるかもしれません。
一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。
みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?
楽しい議論をしましょう!
一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。
みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?
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ペーパーテストの場合、同じだけ偉いと思います。苦労した方が偉いというのは、苦労が必要なかった方にとって不平等だからです。難しいのは、苦労せず満点だった人と最大限努力したけど満点が取れなかった人を比べた時、満点の方が偉いのかどうかです。先ほどと同じ理由で、苦労した方が偉いとは思いませんが、満点の方が偉いともハッキリ言えません。
ただ、実際の世の中には満点は無いと思います。フィギュアスケートですら、公平な点数化は最大の課題です。
また、苦労の量も公平には測れません。ここ数日だけの苦労をいうのか、幼少からの累積苦労なのか。苦労の量とは費やした時間なのか、質なのか。
更に、才能かどうかを区別するのも難しい。長身やイケメンは才能と言えますが、それが結果に対してどれだけのウエイトを占めたのか、測る術はありません。
行き着くところ、私は結果を重視するケースもあれば、過程を重視するケースもあり、好みで評価しています。
(イチロー選手の成績は素晴らしいと思いますが、メジャーでも本塁打に挑戦する松井秀喜選手に惹かれます。)
心の中の評価は別として、人を教育するための評価であれば過程を重視した方が望ましいと思います。結果を褒めると難題に挑戦しなくなる恐れがありますし、努力を褒めれば更に努力するかも知れません。