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ある課題をするとして、苦労をして満点を取った人と、苦労をしないで満点を取った人では、どちらが偉いと思いますか?

「苦労をした」という経験は、別の課題に取り組む際の粘り強さを培うことになるかもしれません。

一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。

みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?

楽しい議論をしましょう!

NO.3   fuminishimura 2012/02/22 07:15:28 合計 0pt.

とても面白い議題だと思います。
それは、「偉い」ということをどのように定義するか、という点でこの議論の行き先が変わってしまう、というところにあると思います。
そう思ってみた時に、「偉い」という言葉が崩壊してしまいました。
偉い、って、こういう時の評価は完全に「上から目線」のような気がしますが、本来、そういう使い方の単語だったのでしょうか?
誰かを何かの論理的な理由によって評価できる、ということは(つまり今回のような二つの条件をもってどちらかがもう一方よりも〇〇であると判断することは)、つまりは、私はその論考についてよく知っている、ということを前提にしますよね。
その論考について、自分はよく知っている、という前提は、完全に不当前提であり、そこから見下した議論になる、っていうことですよね。
そうすると、「偉いの判定をする私」が一番偉い、という立ち位置になると、この問いをみて思うのですが、そんなに傲慢で良いのでしょうか?
しかも、「偉い」ということが、何に繋がるのかがよく分かりません。
例えば、「あなたがとある会社の社長であるとして、どちらを採用しますか?」とか、そうした具体的な質問であれば条件を整えるとして、返答ができると思いますが。
ということで、面白そうな議論になりそうなので、横から拝見いたします。