ある課題をするとして、苦労をして満点を取った人と、苦労をしないで満点を取った人では、どちらが偉いと思いますか?
「苦労をした」という経験は、別の課題に取り組む際の粘り強さを培うことになるかもしれません。
一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。
みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?
楽しい議論をしましょう!
一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。
みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?
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あえて片方の主張をします。
苦労をして課題の満点を取る方が「偉い(=有意)」のではないでしょうか。
苦労せずに満点を取るとは、極端に言えばすでにやれることをやったのみとも言えます。
折鶴を既に作れる人にとっては、何度やっても満点ですから何の進展もありません。
当たり前の結果として現れるだけだと思います。
強いて言えば、その人の当たり前な実力を他者が確認できたという点でしょうか。
一方、何も知らずに折鶴はまず作れません。
満点を取るためには折り方さえ分かれば可能ではありますが、いざテストするとなるとそこには練習が必要になり、時に指導を求めなければならないでしょう。その上で満点を取れたのならば、それだけで価値があるものと思います。向上があったからです。
そこに出る成長の有無を見るならば「努力して満点を取ったほうが偉い」と思う訳です。