ある課題をするとして、苦労をして満点を取った人と、苦労をしないで満点を取った人では、どちらが偉いと思いますか?
「苦労をした」という経験は、別の課題に取り組む際の粘り強さを培うことになるかもしれません。
一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。
みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?
楽しい議論をしましょう!
一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。
みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?
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まず、どちらが偉いかといえば、どちらも同程度、偉いと思います。なぜなら、結果はどちらも満点だからです。しかし、どちらがすごいかといえば、苦労して満点をとった方だと思います。苦労した方は、何か自分にとって難しいこと、できないことに挑戦し、それを乗り越える過程を得ています。しかし、苦労せずにできた人にとっては、なんの負荷もかからず、その人にとっては変化が起こりません。もちろん、苦労せずにある課題をできるというのは、過去になんらかの苦労をしていたのかもしれないし、makin8sさんの言うように、個人の苦労の量と質を公平に測定することは難しく、単純に才能があるとか言い切るのは乱暴だと思います。でも、ここで僕が重要だと思うのは、課題をする前と後で、その人にとって変化が起きているかどうかということです。苦労して新しいことが出来るようになるということは、その人の頭のなかで何か新しいことが起きている、大げさにいえば人間が変わっているということであります。余裕でできてしまうというのは、その時点で、その人にとっては既に刺激的なことはなく、特に意味がないと思います。ですから、ある課題を苦労せずできてしまう、相対的に才能があると評される人は、その人が必死に努力しないとできないような課題に取り組むべきで、簡単にできてしまうような課題には取り組むべきではないのです。そうすることで、個人にとっても、社会にとっても利益につながると(良い作品が生まれる)思いました。