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ある課題をするとして、苦労をして満点を取った人と、苦労をしないで満点を取った人では、どちらが偉いと思いますか?

「苦労をした」という経験は、別の課題に取り組む際の粘り強さを培うことになるかもしれません。

一方、「苦労をせずにできた」という才能ある人が、さらなる難しい課題に取り組んだときにこそ、奇跡的に素晴らしい仕事が達成されるということも言えると思います。

みなさんは、「苦労」と「才能」、そして「結果」について、どのように考えますか?

楽しい議論をしましょう!

NO.10   mongkok93 2012/03/04 15:36:29 合計 0pt.

問いかけにある「偉い」というのは定義しにくい言葉ですね。
ところが 誰かのはなしを聞くと「偉いね」という言葉はすっと出てきます。
二宮金次郎が時間を惜しんで薪を担ぎながら本を読む姿、野口英世が大やけどをしながらも立派な医師になったことなどは誰もが偉いなと感じるでしょう。
東京マラソンで公務員ランナーの川内さんがあまり良い結果を残せなかったことが話題になりました。
五輪代表に確定したランナーより大きく報道されているくらいです。
企業に所属して走ることを仕事としている人がいるなかで、公務員として仕事をしながらマラソンで世界を目指している彼を、多くの人が偉いと感じ応援するのでしょう。
北京五輪で日本男子が400mリレーで銅メダルを取りました。
短距離走は人種によるフィジカルの差が影響するスポーツです。
それでもバトンを渡すテクニックや、タイミングなど走力以外の部分でそれを補う努力をした結果の銅メダル。多くの日本人は「すごい」と同時に「偉い」と感じたと思います。逆に優勝したジャマイカの圧倒的な速さを「すごい」とは思うけど「偉い」とは思わなかったのではないでしょうか。
持って生まれた体格・体力といった才能の部分に「偉い」という感情は芽生えにくいのからでしょうか。

茂木さんの問いかけにある「さらなる難しい課題」を五輪と置き換えて、その選考会で、苦労した人と苦労しなかった人が同じ結果を出した場合には、苦労せずに結果を出した人を代表に選出したくなるのではないかと思います。それは「さらなる難しい課題」に対しても目標を達成できるマージンを有していると期待できるからでしょう。