「今」のことを考えて行動すべきか、「未来」のことを考えて行動すべきか
次世代のことを考えて社会設計をしたとしても、次次世代にとってそれが正しいかどうかは分かりません。200年後、300年後にとって「何がベスト」なのかを考えるのは非常に難しい。そうであるならば、「今、ここ」が幸福になるように生きることの積み重ねをしていくしかない、という考え方もあり得ると思います。
私たちは、どの時点のことを考えて社会を設計し、個人的な行動をすべきなのでしょうか。
みなさんのご意見をお聞かせください。
社会保障について言えば、私は「今、ここ」が幸福になるように生きることの積み重ねをしていくしかない、という考え方です。そしてそこには、trasque さんが書かれていた
「そこで「今が大事」という言葉に、もう一つ意味を加えて”誰かのために”という思いが加わればとても良いものになるのではないかと思います。」
という思いが大切だと思います。
自分の今の幸福が他者の多大な犠牲の上に成り立っていたら幸福にはなり得ないようにも思います。
年金について、かつては、今自分たちが払っている年金は将来の自分のためではなく、今の年金受給者のためであり、払った分を将来もらえるというものではない、と強調されていたような気がします。
ところが最近では、自分が払った分をどれだけ将来回収できるか、どれだけ公平にもらえるか、という話に重点が置かれているようで、何かが変わったのだろうか?と不思議に思っていました。単に説明の仕方が変わったのか、それとも、以前のような説明では到底年金を納める気になれない時代になったのか、年金の捉え方を変えたのか、勉強不足で分かりませんが、このあたりに微妙な人間の考え方の変化があるような気がします。
社会保障制度は、社会的弱者のためにあるのかな、と捉えると、「今、ここ」の幸福が大切であり、社会状況の変化に柔軟に対応できる制度が望ましいように感じます。
ここで一番問われているのは、なにを幸福と思うか、なのかもしれません。
理想的な社会保障制度が目指しているのは、所有することによる幸福ではなく、分かち合うことによる幸福だと思います。
聖書のなかに、50年に一度、債務を帳消しにするという制度が書かれています。
今のこの社会でそんなことをしたら、とんでもない、と受け止められるでしょう。
それでも、命そのものは、自分から求めたのではなく、授かったもの。それならば、その命が所有する財産は私のものではなく、預かっているもの、と考えるのが自然のように感じます。
所有ではなく、たまたま預かっているという意識でいると、社会制度の改革は容易になるように感じます。