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国歌斉唱を教員に強制することについて、どのようにお考えですか?

どうしても嫌ならば、他の職場を探せばいいという意見もあります。条例まで作って「強制」することはナンセンスだという意見もあります。

みなさんの意見を聞かせてください。

NO.3   ryosuke85 2012/03/20 00:13:10 合計 0pt.

国歌斉唱を強制する事について

現在の大阪において問題となった「口元チェック事件」ともいうべき事柄について、率直な感想としては、「そこまでやる必要があるのか」という所で、日本国国歌を“歌う”事を強制する事は、ナンセンスなのではないか、と。
というのも、日本国国歌を聞いて、そこに薫陶を受けて、言ってみれば“浸る”人もいれば、それを表現として口に出して歌う人もいる、その中でも大きな声で歌う人もいれば、小さく歌う人もいる、と、この様に多様性があってもいいと感じる。

それを強制するという事は、例えばサッカーの各国代表同士の試合では必ず相互国歌の斉唱があるが、その中では必ずしも全員が口に出して歌っているとは言えない。それこそ口に出す選手もいれば、目を瞑って大きな声で歌う選手、目を瞑るだけの選手もいる。選手それぞれに“国の代表としての姿”を表現するのであって(結果的にそうなっているとも捉えられるが)、その辺の自由はあって然るべきだと僕は思う。

橋下大阪市長の主張する「公務員なのだから」という理由にも納得できなくもない。
それは、個人として働く場所を地方自治に定め、人数制限のある中、少なくとも希望して働いているわけで、そこにロイヤリティが存在していなくてはならないと思う。もし、無いのであれば、という条件付きで、僕はそれを歌えない、根底に日本国を背負っているという気概が持てないのであれば職務を拒否し、他の職を探すべきだという意見にも納得できる。そして、教育という立場にいる以上、それを放棄した姿勢を被教育者に見せる事は自らの仕事に対しても誇りを失った行為だとして規定できなくもないのではないだろうか。

ただ、僕個人としての国家に対しての気持ちを述べれば、日本国国歌が非常に好きだし、美しいと思う。何よりも歌っている姿をカッコイイとさえ感じている。
それを一番初めに感じたのは、小学校三年生のころに見たサッカー日本代表のカズこと三浦和良選手が、目を閉じ、左胸に手を当てて胸を握り締めながら大声で歌っている姿に感動したからだ。
それまで学校の授業で“歌わされていた”国歌は、カッコ悪かったし、変な歌だなぁ、という気持ちが非常に強かった。現に授業では歌う振りをして歌わなかったぐらいなものだ。
しかし、三浦和良という選手が与えたインパクトは、僕にとって非常に大きく、今でもイメージを掘り起こせば、いつでも浮かんでくる。それを見て以来、国の代表として国歌を歌える事は、自分の中で“かっこいい事”に変わった。

この個人的な例が何を意味するのかは分からないが、少なくとも“子供たち”にとって、国歌を歌う事がカッコいいことだと言える人間が教育機関では働いてほしいと思うし、国というものを一番身近に意識できるものは国歌を歌う時ぐらいだ。
いくら国歌といえども人の行動を規制する事は出来ないし、それを監視する必要も無いが、国歌に対してネガティブな感情を抱いてしまうのであれば、職を辞する気概を持って働いてもらいたい、という希望を述べて僕の意見とします。