責任を取るとはどういうことか
企業の不祥事などが起きると、社長が出てきてテレビの前で頭を下げるというのがお約束になっています。しかし、はたしてそれで責任を取ったということになるのでしょうか。
あるいは、何か問題が起きた場合に、その組織のトップが辞めるという形で責任を取ることがあります。しかし、辞めたからといって、事態が解明され、状況が改善されるとは限りません。はたしてこれで責任を取ったと言えるのでしょうか。
損害を与えたら、その分を賠償するというのが民法上のルールとしてはあります。それで公平さが保てる場合もあるし、とても納得ができないという場合もある。
このように、「責任を取る」というのは、よく聞く言葉でありながら、実際にはなかなか難しい問題でもあります。
あるべき責任の取り方とは、どのようなものなのか。みなさんのご意見をお待ちしております。
あるいは、何か問題が起きた場合に、その組織のトップが辞めるという形で責任を取ることがあります。しかし、辞めたからといって、事態が解明され、状況が改善されるとは限りません。はたしてこれで責任を取ったと言えるのでしょうか。
損害を与えたら、その分を賠償するというのが民法上のルールとしてはあります。それで公平さが保てる場合もあるし、とても納得ができないという場合もある。
このように、「責任を取る」というのは、よく聞く言葉でありながら、実際にはなかなか難しい問題でもあります。
あるべき責任の取り方とは、どのようなものなのか。みなさんのご意見をお待ちしております。
責任を取る事について
責任というのは、信頼という言葉と表裏一体では無いでしょうか。
責任を取って云々、という文言が出てくる際には、たいていが社会的な信頼を失った場合に聞かれることが多い様に思います。
自らの立場に責任という言葉を想起すると、信頼されている以上裏切るような事は出来ない、という気持ちが働きます。これは株式会社でも同じでは無いでしょうか。
責任を取るという行動として示すには、そもそも、その信頼を損ねる原因となった人間が舞台から降りてしまった場合、成り立ちません。
だからこそ、ミスが生じたのであれば、ミスをミスのまま、それを避けるのでは無く、向き合って再発防止を任せる方が適切なのでは無いでしょうか。
取り返しのつかないミスというのは、確かにあるとは思います。
しかし、だからと言って、仮にも信頼を置かれている人間を排除していい理由にはならないでしょう。
暴力的な言い方かもしれませんが、例えばお酒で失敗した人がいたとします。
その人がお酒を避ければ問題が解決をするのでは無く、自分と酒との関係をきちんと見つめて対策を自らが講じないと解決できないはずです。
ミスというのは、何かを見落としている、気づいていない人間が起こすものではないか、というのが最近の自分のミスに対する考えなのですが、それを基に考えると、その人間が、そもそも何を見落としているのか、何に気付くべきなのか、という所が分からない事には、上で述べた信頼を回復する事にはならず、それは結果的に責任を果たす事にはならない、として僕の意見とします。