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責任を取るとはどういうことか

企業の不祥事などが起きると、社長が出てきてテレビの前で頭を下げるというのがお約束になっています。しかし、はたしてそれで責任を取ったということになるのでしょうか。

あるいは、何か問題が起きた場合に、その組織のトップが辞めるという形で責任を取ることがあります。しかし、辞めたからといって、事態が解明され、状況が改善されるとは限りません。はたしてこれで責任を取ったと言えるのでしょうか。

損害を与えたら、その分を賠償するというのが民法上のルールとしてはあります。それで公平さが保てる場合もあるし、とても納得ができないという場合もある。

このように、「責任を取る」というのは、よく聞く言葉でありながら、実際にはなかなか難しい問題でもあります。

あるべき責任の取り方とは、どのようなものなのか。みなさんのご意見をお待ちしております。

NO.10   orcamie 2012/04/14 16:59:36 合計 0pt.

責任を取るということ

私はまず、不祥事や問題を起こした時点である意味責任を取る能力に欠けるということを示しているのではないかと思います。従って責任を取らせるという仕組みが社会にしっかりあることが重要なのだと思います。今“責任をとる”事の意味を考えるのはきっと比較的大企業や政府や政府系機関が不祥事を起こした場合なのかなと思いますが。

日本社会は 不祥事が起きた場合にその責任を取らせるという仕組みがまだ不完全ではないかと思います。きっと日本社会だけでなく他の国々も不完全です。日本は諸外国に比べて感情的に物事をとらえる側面があると思います。しかし今では日本の国民は不祥事に対してどのように責任が取られるかという関心が昨年の大地震や原発事故以来非常に高まっています。

ひとつの例として2001年にアメリカハワイ沖で宇和島水産高校の実習船がアメリカ軍原潜「グリーンビル」に衝突されて沈没した事故を思い出します。アメリカ海軍の艦長は事故後の記者会見で頭を下げなかったと日本側に非難の声があったように思います。艦長はその後更迭されましたが、不名誉除隊ではなく軍人年金受給可能な一般退職したとのこと。この時の森喜朗首相は事故の一報を受けた後もゴルフを続けたということで非難されました。

責任を果たすという意味で 問題が起きる前の 原状回復は最低限の責任です。一旦起きてしまった事故や事件では ほとんどの場合被害者となった人々はその問題が起こる以前の状態にもどることは不可能です。そして一番問題なのが被害者の立場にならなければその状況を真には理解できないということもあります。被害者を社会的に孤立させないということも重要です。そういう意味でメデイアの力も大きな意味合いを持ってきますが 政府や大企業はしばしば大広告主ということもありメデイアが圧力に屈せずに真実の姿を伝えられるのか。そして政府や大企業が自らの立場を国民ひとりひとりと共に歩もうという姿勢があるか。そしてそういう社会を作るのはそこに暮らす一人一人の責任でもあります。2001年の潜水艦の事故では沈没した船が高校生の実習船であったということがあまりアメリカ社会に伝えられなかったということがありました。もしもその事実がアメリカ社会で広く知られた場合結果が違ったのでしょうか。私がアメリカ側が加害者の例を挙げたのは、日本社会の中で被害者も加害者も日本人である場合、日本の人々にとってそれだけで見えない部分というのがあるのではないかと思うのです。特にすぐには解決できないような大きな問題が起きたときにそれを必ず解決するという強い信念を社会全体が解決するまで持ち続けなければいけない。自らの暮らす国、地球を住み良い場所にするにはそこに暮らす人の覚悟というものが必要ですね。