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専門家の知見と素人の集合知は、どちらを重視すべきでしょうか?

もう数年前になりますが、Wikipediaのほうが、encyclopedia Britanicaよりも自然科学の分野については、より正確だったという研究が科学雑誌『Nature』に掲載されました。Googleのエリック・シュミットも「一人の天才の意見よりも、30人の凡人の意見を集めたほうが良い判断ができる」と言っていたことがあります。

原発の問題も、原発の専門家が行う判断に任せるよりも、多くの人が経験や直感から考える懸念などをもとに判断したほうが、より質の高い意思決定につながるという意見もある。

政府の政策決定も、これまでは専門家を集めた有識者委員会を作り、そこでの議論を意思決定の参考にしていました。でも、もっと直接的に国民の声を吸い上げたほうが質の高い政策が作れるのではないかという声もあります。

反対に、専門家でなければ分からないこともあるので、やはり彼らの意見を重視すべきだという意見もあります。

国民一人一人からの意見を吸い上げることが技術的に可能になっている時代において、専門家の知見と素人の集合知のどちらを重視すべきでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。

NO.1   makin8s 2012/05/08 00:21:11 合計 0pt.

社会には「絶対に正しい」ことはないと考えています。どんなに正しそうなことでも、見方や環境によっては正しくないかも知れません。

ですので、専門家が正しい結論を出せるとは考えられません。集合知が正しいとも限りませんが、多数派に受け入れられ易いという利点があります。分からなくても私達は進むべき道を決めなくてはなりませんので、政治判断には集合知が向いていると思います。

例えば、私は原発再稼働に賛成です。資源枯渇・地球温暖化・電気代においてメリットを感じています。原発を停止しても事故リスクは低下しないと思いますし、事業の急激な縮小は技術者育成を阻害するので、廃炉や廃棄物処理で問題を抱える恐れもあると思います。また、数マイクロシーベルト/時の低線量被爆で健康を損なうとも考えておりません。しかし、今挙げた判断が絶対に正しいとも考えていません。ですから、再稼働賛成派が少数派のうちは、無理に再稼働しても政治的に上手くいかないと思っています。

専門家の利点もあります。例えば、野球やゴルフでスイングに悩むことがありますが、30人の素人にあれこれ言われても、おそらくスランプを脱出できません。この人こそは!と信じられる一人にアドバイスを求める方が良い結果が出ることが多いと思います。また、集合知は裁判員制度のように国民負担が大きくなることは明らかなので、自分にとってどうでも良いことは専門家が適切に決めてくれたら楽だなあと思います。

ネットで自主参加による国会を開き、集合知を政策に反映させるプラットフォームがあるといいですね。今のネットは議論は深まれども、肝心の決議権がありませんから。

一方、科学技術は集合知では進歩しないでしょう。クオリアの解明、期待しています!